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【TEDx】 "置かれた場所で咲きなさい"、それって思考停止?
綺麗なことばかり言う人も自分も、白々しくて嫌い。
舞台の上で輝く人たちは、そこに至るまでに形容しきれない負の感情をたくさん抱えてきたって、自分も経験したし周りを見てもきた。
だからこそ、隠すなんてもったいない。
伝え方には充分配慮したうえで。意外と打ち明けてしまった後の言葉の方が、重みがある。
それに私は、負の一面さえも見せてくれる人の方が信頼できる。誰だっていい顔していたいし良く思われたい、そんな心理を敢えて飛び越えるから。
20日後にTEDxに登壇する私へ。
良く思われたくて、綺麗なことばかり言わないように。
私が私の名前で前に出る意味を、忘れないように。
泥臭い過去を、そこから得た教訓を、振り返ってみる。
なんだか悔しいけど、私は挫折というものに縁深い。
就職活動を2回した。大学受験は、4回した。
全て無駄だったとは言わない、でももっと有益に使えたはずの時間の大部分はここに溶かしてしまった。
もしあの頃の私に会えるなら、真っ先に伝えたいことがある。
「置かれた環境で咲こうとするな」って。
どうしても国立大学に行きたい。でも数学はどれだけ勉強しても点数を取れなかった。
海外出張できる会社で働きたい。でも日系企業の雰囲気に私は全く合っていないようだった。
私はどうしようもなく無能なのかもって、悔しくていっぱい泣いた。若かったなあって思う(今も若いけど)、でもおかげで社会に出る前に自分を知ることができた。
「置かれた環境で咲きなさい」
これを真に受けたって、私は成功しない。
「咲ける環境を探しなさい」
私が時間を使うべきはこれだ。
編入試験はあっさり合格した。
「11年ぶりに合格者を出した」って後から聞かされた。
大好きな英語の勉強は、受験となっても苦じゃなかった。
世界史は高1以来の独学だったけど、歴史好きには勉強そのものが楽しかった。
2回目の就活は、たったの2ヶ月で終わった。
全部顔に出てしまうから、薄っぺらい志望動機を深く聞かれなくて済むのはありがたかった。
日系から外資系に変えただけで、こんなにも選考はスムーズに進むんだって驚いた(ほんまはグローバルファームっていうらしい。細かい!)。
「置かれた環境で咲きなさい」
それは実現できたなら、とても素敵だと思う。ただしその意味は、一度考える機会を持った方がいい。
その努力が時間が心労が無駄に終わらないか、もっと自分を活かせる方法はないか、そもそも、そこは耐えるべき環境なのか?
全てを受け入れてがむしゃらに頑張れる人は、ある人にとっては都合が良い。
地頭の良さとか要領の良さとか努力の量とか質とか、そんなことを疑う前に、自分にとっての抜け道を探すべきだった。手持ちの選択肢の少なさに気付くべきだった。
苦手なことは、結局マイナスからゼロにしかならない。
でも得意なことは、プラスがさらなるプラスになる。
休学中に取った選択の全てが、それを証明してくれた。
日和った私は見たくない。
曖昧な言葉で保険をかける私も見たくない。
伝え方に配慮することと、保身に走ることは違う。
「これが私の生き方です」
私は私の人生を肯定するために、またあの場所に立つ。