![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144956713/rectangle_large_type_2_f456773f576f8027095e695ccbe53843.png?width=1200)
No.26 ドイツ人とは・・・
「しまった・・飲み水がない。」
地図に記された町の名前は、実際には家がわずか数軒並ぶ小さなビレッジに過ぎなかった。
タウポから、海沿いのネーピアまで170キロ。ホテルやキャンプサイトもなかったので走り切ることができなくても、途中でテントを張ればいい、そう考えていた。どこかで、食料と飲み水を調達すればいいと・・・
永遠に続く登り坂を、自転車を押して歩いている時、私の心は過去へとさまよい始めた。
高校生の時、西成のあいりん地区で、たまにアルバイトをしていた。朝早く新今宮の駅を降りると、何百台ものバンが停まっており、フロントガラスには「足場組み立て11500円」や「荷物の搬入12000円」と手書きで書かれたダンボールが貼られている。その中をうねる様に、路上生活者や日雇い労働者が、仕事を探して歩き回っていた。
ある日、私は友達と一台のバンへ乗り込んだ。そのバンは、一度飯場へ寄り、私たちに臭い飯を食わせると、友達だけを連れてどこかへ行ってしまった。残された私は、柄物の夏用セーターを着たパンチパーマの運転する高級車で、友達とは違う現場へ運ばれた。
「ここの土を広げてくれたら、ええから。もう少ししたら、おっさんくるし」
太陽が容赦なく照りつける中、私は砂埃を巻き上げながら、スコップを振るった。汗が額を伝い目にしみる。砂の山は、私の前に広がる荒涼とした広場に対して、まるで小さな丘のようだった。スコップをその丘に打ち付け、砂を力強く掬い上げるを永遠に繰り返す。
まだ、おっさんの姿はどこにもない。喉が渇く。財布を友達に預けてしまっていた。私の周りには無言の熱気と、遠くで鳴く蝉の声だけがあった。
そして私は、意を決して知らない家へ水を求めてノックしたのだった。
前方の地平線から、年季の入った車がゆっくりと近づいてきた。その車には日焼けした若い白人夫婦が乗っており、私は彼らに水を買う場所がこの先あるかを尋ねた。
「残念だけど、この先ネーピアまで、お店はなかったよ。」
と、彼は申し訳なさそうに答えた。後部座席から、好奇心旺盛な瞳をした小さな女の子が、こちらをじっと見つめていた。そして彼らは、心配そうに去っていった。
私は、川の水を飲む覚悟を決めながら、果てしなく続く上り坂を手押しで進んでいた。しかし、突然、Uターンして戻ってきたさっきの車が私の前で止まり、旦那さんが何も言わずに自転車をトランクに積み込んだのだ。
「乗せていくよ」
と彼は静かに言い、後部座席に私を乗せ走り出した。彼らはドイツ人で、車で旅行しているという。隣に座る小さな女の子がしきりに話しかけてくる。英語が苦手な私は彼女の言葉がわからずに困惑していた。助手席に座る奥さんが、優しく介入し、「彼は英語が苦手なのよ」と女の子に説明した。女の子は「ああ、そうなんだね」と大人びた笑顔で頷いた。
彼らはネーピアから来たのだろう。もう少しで、彼らの目的地タウポに着くはずだったのに、引き返してくれたのだった。