DEATH STRANDING後の世界に生きる

 2019年11月8日、ついに待ちに待った日がやって来た。小島秀夫監督の最新作、DEATH STRANDINGの発売日だ。
 ファンにとって、「A HIDEO KOJIMA GAMEを再び遊ぶことが出来る」というのは、言葉に出来ないほどの喜びがある。小島秀夫という一人の存在が、最初から最後まで責任持って届けますよ、という証。それが「A HIDEO KOJIMA GAME」であり、その魅力に取りつかれたファンにとって2016年のE3での発表がどれだけの衝撃だったかはいまだ記憶に新しく、そして色褪せない思い出の一つなのは間違いないと思う。世界中でこの発表を待っている人たちがいて、そうしたファンがいるからこそと新たな挑戦をしてくれた小島監督にはただただ感謝だ。

 そんなわけで、少なくとも私は発売前からDEATH STRANDING(以下デススト)というゲームに対しては贔屓目しかなく、製作し発売してくれるだけで百億万点圧倒的感謝、くらいの勢いだった。推しは生きてるだけで尊い的なあれだ。
 ただ、こんな所謂信者的な人間がああだこうだと言っていても、ただの色眼鏡なんじゃね?と思われるのも当然だし、前評判時点でどれだけ話したところで「実際ゲームとしてはどういうものなの?」と問われると、途端言葉に詰まってしまっていたのも事実だ。

 そんな私は、発売前は友人に「ノーマン・リーダスになって荷物を運んでマッツ・ミケルセンに会ったりも出来るゲーム」という非常に残念な伝え方しか出来なかった。
 そしてとりあえずクリアした私がいま言うなら「ノーマン・リーダスになって赤ちゃんと一緒に山越え谷越え道を作って荷物を運んで、誰かに感謝を伝えるゲーム」と言うだろう。あまり変わっていない。強いて言うならば「謎だらけの世界で少しずつ真相が見えてきて最後は色んなところに泣きどころがあって感情が追いつかないので、翌日が休みの日にプレイすべき」という注意点が増えるかもしれない。マッツに関してはもうありとあらゆるマッツが詰め込まれていて情報過多過ぎた。正直まだ消化しきれていないくらいお腹いっぱいなので、察してくれとしか言えない。KOJIMA IS GODなのだ。知ってた。
 発売初日から五日ほど有給を取って完全に引き籠りただただ毎日配送に明け暮れクリアした日から、これでもずっと考えていたのだ。デスストの何が面白いのかを何故こうも言語化出来ないのだろうか、と。

 随分と話題になっていたはずの俳優陣や声優陣といったキャストの魅力については、すでに多くのところで語られているので割愛しよう。映画を撮るようにして作られたゲームということなので、CGの大袈裟でちょっと違和感を感じる表情といった類とは無縁の作品だということが伝わればいいかと思う。物語を楽しむ、という点については「ただ安心してくれ」としか言えない。
 声優陣も圧倒的信頼の布陣で、一作品にこれだけのキャストが揃ってるって他に何がある??状態。「この声に言われたらやるしかないやん」って思わせてくれる声ばかりで本当にありがとうございますご馳走様ですもっと聞きたいです。

 その物語の根幹、世界観やストーリーに関しても、うかつに話し始めると最早何がネタバレになるのか分からないのでやっぱり語りにくい。
 『そう遠くない未来の地球で、デス・ストランディングという謎の現象が起きてしまい、世界は物理的に分断されてしまった。このまま断絶した状態が続けば人類は滅んでしまう。それを阻止すべく、アメリカという国家を再建することで人類に希望を、と唱えた大統領から人々を繋げ直すために荷物を運んでほしいと依頼されたのが、主人公であるサム(ノーマン・リーダス)なのだ。』くらいが限界だ。
 初めて耳にする用語が当然のように出てくるし、つまりいま何がどうなってるんだ?というのを把握するところから始めなければならないが、その辺もゲームを進めていけば自然と理解出来てくる。同時に謎も深まり、疑心暗鬼にもなったりしながら真相が見え始めた時のあの「そういうことか!」という感覚は快感でもある。月並みだが、壮大な物語、という表現になってしまう。だがそれが事実なので許してほしい。

 とはいえ、あくまでデスストという作品はゲームなのだから、ゲーム性という点での魅力を伝えられないと「気にはなってるんだけど、どんなゲームかよく分からん」と口にしている勢には結局「よく分からんゲーム」で終わってしまう。アプリなどで無料で気軽にノーリスクで遊べるこのご時世、通常のフルプライスものよりは格段に安いと言っても「ちょっと気になるから」だけでは7000円近くの出費は中々のハイリスクだ。
 しかも、物語を楽しみたいだけ勢にしてみれば、そのために数十時間を捻出するのも中々ハードルが高い。(そんな人はぜひ今月末に発売されるノベライズ版を手に取っていただきたい)(ダイマ)
 となると、既に遊んだ人間が少しでも「こんなゲームだったよ!」と伝えるべきなのだが、そこでやはり詰んでしまう。何故なのかを考えに考え、やっと辿り着いた答えが「新しいものだから」だった。

 具体的だろうが抽象的なイメージだろうが、とにかく何かを表現する時に例を挙げるという行為は、過去に存在する類似した何かがあってこそ成立する。デスストの場合、それがない。
 勿論、ゲームなので多少なりとも戦闘シーンがある。そのアクション性だとか攻略法について類似するゲームはあるし、なんだったら過去の小島作品(特にメタルギアソリッドシリーズ、その中でもMGSV)を触っていただければ十分雰囲気は掴めると思う。みんな大好き、噂の国道建設だって、資材を投入して設備を整えると説明すれば類似するゲームはある。
 ただ、それらが最終的に齎すものがこれまでに無さ過ぎる。「自分の為であり且つ見知らぬ誰かの為になる」という「利己的でありながらも利他的になる」ことで、「感謝」という感情が芽生えてくるゲームを、私はいままで知らなかった。
 マルチプレイで仲間内と協力して生まれる感謝は、あくまでその閉じた輪の中だけの話。某ソシャゲのサポート枠は一方通行だけど、その恩恵がフレポという形になって双方にとって具体的な利になる。(絶賛放送中のアニメもヨロシク!)(ダイマ)
 デスストではそれがない。ただ「ありがとう」と伝える。本当にそれだけ。それだけのことが、本当に有り難くて助けになったから「いいね!」と送るし、自分が助けてもらったから次は誰かの役に立つかも、と思って行動する。結果としてそれが本当に誰かの役に立つのかは分からないし、誰にも使ってもらえないかもしれない。それでもいいんだ、と思って軌跡を残せる、そう行動することが出来るようになることが、新しい。
 独りで国道建設も、多分出来なくはない。ただ、おそろしいまでに大変だろうことは分かる。それだけに達成感もあるだろうが、誰かと一緒にやり遂げてもきっと同じくらいの達成感はある。何処の誰とも分からない、もしかしたら地球の裏側にいるかもしれない誰かと一緒にやったからといって、自分の力が足りなかったなんて悔いる必要は一切ないし、むしろ一緒に頑張ってくれてありがとう!くらいの気持ちが湧いてくるかもしれない。
 癒し目的のほのぼのしたゲームで得るのとはまったく異なる「優しさ」が生まれてくる、そんなゲームを私はこれまで遊んだ記憶がなかった。

 このゲームは、負の感情が生まれる瞬間があまりにも少ない。
 ミュールに襲われれば「なに人の荷物狙ってくれてんねん!」と闘争心剥き出しになるし、時雨が降ってBTを感じるとビクビクするし(慣れるとミュールもBTも素材にしか見えなくなるけど)、うっかり対消滅してしまうと虚無感に項垂れるし、これまでの苦労が…とうっかりF●ck!とか言いたくなるけれど、あくまで自分の不甲斐無さに対する内へ向けた感情であって、それが他者に向くことがない。その内に向かうものだって、その壁を超えられれば綺麗さっぱり忘れてしまえるのだから安いものだと思う。
 ストーリーが進むにつれ、「このキャラめちゃくちゃ悪い奴やん」と思ったりもするけれど、(個人的にはそういうのが大好物なのでもっとほしい)だからってそこにずっと怒りがあって最後まで消化出来ず仕舞いか、というと勿論そんなことはない。だから、物語という視点においても「哀」はあっても「怒」が残ることはなかった。ただただ最後には希望がある。
 その希望を心の底から感じられるのは、そこに至る道程を歩んだ苦労があったからで、その苦労の過程では必ず誰かの助けがあったはずで。だから最後は希望と共に自然と感謝があった。

 所詮はゲームだ。遊びだ。だからどんな風に遊んでもいいし、誰もが同じように楽しめるわけじゃない。それを楽しいと思えるかは人によるし、NOT FOR MEの人だっていっぱいいると思う。周囲が面白いと言ってるから自分もそれに乗らないといけない、なんてことはないし、楽しんでる人だって全肯定する必要もないと思う。
 実際、監督をはじめとする皆々様には本当に申し訳ないが、私は最後までBBが怖いままだった。元々、赤ん坊という存在を可愛いどころか怖ろしいと感じてしまう人間なのできっと無理だろうなとは思っていたけれど、やはりそこは最後まで変わらなかった。皆が可愛いと言うのは分かるけれど(たしかに可愛いと思える瞬間はいくつかあったのだが、総合的に見るやはり怖さが勝る)、自分はそれを最後まで感じられなかったというだけの話。
 だからといって物語に没入出来なかったということもなく、自分なりに満喫した自信はある。明日からはまったり二周目プレイをして、あの美しい世界を満喫するつもりだ。これだけ楽しめる作品を手にとれたというこの瞬間に、ただただ感謝しかない。いいねを押すしかない。

 「何が面白いのか」という非常に単純な難題に対しどうにか捻り出すのなら、「何が面白いかを言い表せないのが面白いんだ」という、答えになってない言葉を送るしかない。様々な感情を伴った数十時間を一言でまとめるなんて、どだい無理な話なのだ。
 だからもし「気になってるけど……」という人がいるなら、最近の自分の感情を思い起こしてほしい。そこに少し黒く澱んだものがありそうなら、よければこの作品に触れて、ちょっとした小さな優しさに触れる旅に出てみてほしい。自然と「ありがとう」という言葉が口をつき、感謝をし、誰かにも自分にも優しくなれるはずだ。

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