【人気】これだけ!?願望実現しない衝撃理由
◆ 情報最終更新日┊2024.7.29
🐉 龍神様のパワーを動画で受け取りたい方はコチラ
✍️ ま え が き
まず、この記事に出会っていただき、誠にありがとうございます。😊
私、infinity artist NAO(インフィニティアーティストNAO)と申します。
この人気記事は、より充実した内容で、ご希望の方にお届けするため、
随時テキスト、写真など更新させていただいております。
引き寄せ試行錯誤の10年間を楽しく読めるエピソードに。
私は今、プロのアーティストですが、数年前は “ただのバイト ”そして、その前は、美大を卒業、就活に失敗し路頭に迷っていた当時23歳の私でした。
今まで何十冊と本を読破し、「お金がない!」それでも掻き集めて都度都度、高額なセミナーに参加し何十万と自己投資してきたり。
引き寄せ貧乏から引き寄せマスターの感覚を掴むため10年以上試行錯誤してきました。
「バイトなし!通勤なし!誰かに決められたお給料ではなく、自分で設定した額を引き寄せたい…!」
バイトと制作の引きこもり生活を繰り返す日々、そんな生き方を当時思い描いていたのですが、それらの夢は叶えられ、さらには幸せなパートナーシップを感じられる日々を生きています。(2023年に結婚も引き寄せました。)
ここでは引き寄せのノウハウはもちろんのこと、巷ではあまり語られていないであろう 引き寄せがうまく行くのは“ この感覚 ”的なところを、沢山書かせていただきました。“ 実際に 夢を叶えて、アーティストとしても社会的に実績を出せている私だからこそ 伝えられる ” そんな工夫を散りばめています。
内容の充実度により、今設定している価格から 少しずつ値上げする可能性が今後あるかもしれません。気になった方はぜひ、今のうちにお読みいただけると嬉しいです。
私自身の作品イメージや写真もどんどん追加して、読書が苦手な人でも、ヴィジュアルで感覚的に伝わるように、楽しく読める記事にしていきます。
※ 有料記事の最後には、
通常の有料コンテンツの特典もご用意させていただきました。
💡 このような方に オススメ
📄 もくじ \ 好きなところから読んでヨシ! /
この記事の作者 NAOの引き寄せ実績
私NAOは、“ 表向きは ” 絵を描く人、つまりアーティストなのですが、描画スキルと同時に どうしたら、自分の思い描く夢を叶えられるのか?というのを、実はずっと試行錯誤し続けています。(2013年より現在進行中〜)
それこそ、わかりやすい実績として列挙するのであれば・・・
▼ 2014〜
せっかく有名美大を卒業したのに就職失敗!
時給800円〜1500円で働く“ 身も心もカツカツな ”バイト時代を過ごす。
ときにはひきこもり・ニートのような時期も…。
母親とは毎週のようにケンカ、低波動で過ごす毎日。
「人生変えたい」と試行錯誤する
▼ 2018〜
気づいたら役所へ起業申請をしに行き…
▼ 2023〜
アーティストとして数々の受賞歴を創造する。
プロのアーティストとして生計を立てる。
日本と台湾での活動実績を創造。(2024年 現在)
これらを叶え、それを一瞬ではなく、現在までずっと体現して生きています。
人生は設定したテーマどおりになる。
2023年には幸せな結婚も引き寄せ、ケンカもしますが毎日ゲラゲラ(!?)笑い合っているパートナーシップを楽しみながら生きています。(笑)やっぱり人生、笑っているのが一番!
今、あなた様の人生はどんなテーマになっていますか?ご自身が設定したテーマ通りの現実が目に見えてきますよ。(引き寄せの法則)
引き寄せの法則(宇宙の法則)との出会い
“ 引き寄せの法則(宇宙の法則)”というものには、たしか、大学卒業前になんとなく市民図書館の本から知りまして、そこから10年以上探求してきました。
もっと前をさかのぼると、私が高校生の時、英語の参考書を買いに行ったのですが、結局、自己啓発の本を買って帰ってきた(!)のが、ことの発端だったかもしれません。(笑)ですので、裏の顔は引き寄せマスターです。✌️(笑)
夢を叶えた実体験
趣味ではなく、画家にもなれましたし
└これは不要な“ 思い込み ”に気づくまで、叶えるのにはけっこう時間かかりましたね…。ただのバイトだったあの日から、幸せ感じる毎日を生きています。日々感謝〜!
しかも、文集のなりたい夢の欄に画家、だとかイラストレーター、ファッションデザイナーとか描いていました。叶ってるね。(文集断捨離したけどね!)
大の苦手だったパートナーシップもマスター
両親の不仲を見て育ったけれど、幸せな結婚を引き寄せました。
└ パートナーシップのことで言えば、思い描いたパートナーを引き寄せましたね。
私は人間関係がめんどくさくなると、すぐ逃げてしまうのがクセだったのでした。
だからこそ「毎日協力し合い、ケンカしたとしても結局、毎回仲直りできるというパートナーを🙏」(そうすればせっかく結婚したのに離婚しなくてすむよね)と、宇宙にオーダーしました。気づけば、本当に願望ノートに書いたシナリオ通りの日々になっている!?んですよね。私とは正反対な性質の旦那さんは、良き相棒です。
私NAOは、いわゆるスピチューバーさんや、願望引き寄せコーチなどではありません。よくYoutubeを見ていると誘導される高額な講座も持ってません、やってません、売りつけません。(笑)そこはご安心を。(笑)だからこそ、逆に説得力あるんじゃないかな?と思います。
本当は引き寄せの法則を中心に発信したい気持ちも、なくはないのですが、その内容だけを届けたいわけでもないし、いやむしろ、アーティストとしてきちんと作品(絵)を発信し届けていきたいのです。
私のYoutubeでもこのようなお話しはしているけれど、たまにしか話していないので、このnote記事でひっそりと出会っていただいた誰か(あなた様)に自分の経験がガッツリ参考になればと、引き寄せの法則について発信させていただいております。
この記事に出会っていただいたアナタ様には、お役に立てていただいたり、さらには私のマガジンからお好きな記事が見つかれば、幸いです。
それでは、ご関心をいただいた方はこの先の本題もよろしくお願いします。
From┊infinity artist NAO .
さて、本題へいきましょう
このnoteの記事から、初めて私インフィニティアーティストNAOと出会ってくれる人もいるかと思います。もしくは、最近アーティストNAOのことを知った、という方もいらっしゃると思います。誠にありがとうございます。😊
ココでは引き寄せエピソードが ただでさえ長い!ので『NAO自身をもっと知りたいよ!』と思ってくださった方は、詳しい自己紹介などは別途note記事・マガジンを探ってみてくださいませ。🙏(笑)
私NAOが、叶えてきたこと
『 “ 食べたい ”と思っていたアイスをもらった! 』🍨
(しかもハーゲンダッツ〜♩)
『 ちょうど仕事用バッグ買い換えようと思っていたらもらっちゃった! 』
(なんで仲悪い母親から!?でも、もらえるならいただこう🙏)
だとか、それこそ日常の小さな出来事・モノの引き寄せは、今まで沢山+色々あります。
宇宙って本当に『え゛!?😳』ってところから変化球投げてきてくれますから面白いんですよね。
あなた様も今までそんなことってありませんでしたか?「え〜、引き寄せなんて起きてないよ」という方、日常すぎて忘れているだけかもしれませんよ!
というか悪かろうが良かろうが、どっちにしろ、全部引き寄せているんですよね。それは、私たちの“ 波動 ”状態(周波数)で決まります。
今回は、私の人生のターニングポイント的なところの引き寄せエピソード3つ、かいつまんでみますね。長くなりますがよろしくお願いします。
人生の試練1・美大受験
のときのお話です。
▶︎▶︎▶︎ 高校生の頃(17〜18歳)
2〜6歳くらいの間に『ぼく、スポーツ選手になる!』『わたし、スケート選手になる!』と、スグに夢を描ける早い人もいるかもしれません。
ですが大抵の皆さん、高校生のときが一番最初の進路選びだったのではないでしょうか…? わたしは、自分で決めるのは、この時が初めてだったと思います。
なぜなら、それまで学校の先生、親、周りの先生に言われるがまま(人生を受け身の姿勢で捉えていた)でしたからね。今は人生に対して主体的に生きていますが、昔はとっても受け身の姿勢でした。
「美術の道に進みたい」
高校2年生のころ、初めて“ 美術予備校 ”という存在を知りました。美術予備校ってなぁに?っていう方は、一般的な勉強の予備校の、“ 絵のバージョン ”と思っていただければと。
美大に行きたい人たちは、たいてい通わなければならない絵の予備校のことです。各美大ごとに、入試の傾向があるので、独学で受かるのは99%無理ゲーなんです。
それで、わたしNAOは高2の夏期講習から通ってみたんです。でも周りはすんごく上手い人ばかりでした。いや、絵が上手い人が集まるから当たり前のことなんですけどね。あと画塾講師の経験があるから言えますが、デッサンは筋トレと同じなので必ず上達します。
描いた絵をズラ〜っと並べて先生たちがアドバイスをしてくれる講評会というものがあるのですが、これは毎回辛かったですね〜。一喜一憂してしまうわたしの思考に問題があっただけなんですが。
「 私はとても絵が上手い! 」そう思っていた自分のプライドが、見事コナゴナに砕け散るのでした。
絵が上手いっていうのは、通っていた学校内の範囲であっただけだったんですね。(勘違いすんなよ)』と。←誰も勘違いすんなよ、とは言っていない…
せっかく予備校に通い始めてメキメキと上達したのに、そうやって「あぁ…私はは才能がなかったんだ」と思い込んで、美術予備校を3ヶ月ほど通ったところで、辞めてしまったんですよね。(超もったいないよぉ〜!😱)
自分からそう思って美術予備校を辞める(=美術の道をあきらめる)と決断をしたのにも関わらず、消えないフツフツと湧いてくる想い(これが魂の声というやつ)。
私が通っていた高校はよくある普通科で、特段 進学校というわけでもありませんでした。
ほとんどのクラスメイトは書類を出せば受かるくらいの簡単な推薦枠で、ヒョイっと、楽ち〜んに大学や専門学校に受かっていました。
本当に行きたいかもわからない大学や専門学校をサラッと選び、早々に進路が決まり、遊んでいるクラスメイトたち。それを見ては、わたしは勝手に毎日イライラしていたのでした…。
わたしはだんだんとクラスに入れなくなって、昼食は図書室まで行き ひっそりお弁当を隠しながら食べたり(きっとニオイぷんぷんしてたよ)、保健室に逃げ込んでみたり💨…。
「学校に毎日来ているのに、まるで不登校の子みたいな気持ちだ」と。
今までのわたしでは、考えられなかった行動をしていましたね。これも、無理せず学校を休んでしまえば良かったのに…。
学校は毎日行くものだという洗脳から抜け切れませんでした。これが、大人では毎日会社に行くものだになっていくんですかね…。
就活に失敗したことで わたしは風の時代やコロナになる前から、この考え方からとっくにリタイアしてました。
進路は「大事な人生の選択。なのに、そんな軽々しく決めるなんて信じられない!こんなヤツら仲間じゃない!」そう感じていました。
でも、これはただの、私の中の観念・思い込みだったんですよね。同級生たちは、わたしと同じ観念で生きてなかっただけ。思考・マインドがちがうと、人間の周波数も異なりますから、わたしはクラスメイトたちが出している周波数の輪に全く入れなくなっていった。それだけのことだったんです。
*あえて、その当時の気持ちを表現するために「ヤツら」と、しています。🙏
わたしも今は多少(?)“ 大人になりました ”が、学生時代イジメも長い間受けていたので、言葉づかいも汚かっただろうし、そんなそんな、心の綺麗な人間では、なかったんです。わたしもただのいち人間ですから。🙏
おっと、話を戻しますね。
美術予備校に通ったのに、一度は辞め…。進路に迷いに迷った挙句、高校3年生、10月というギリギリの時期になってしまっていました。
「予備校、一度辞めたけど、やっぱり美大に行きたい…!」
と勇気を振り絞って再度、母親に気持ちを伝えました。ですが残念ながら一言目に出てきたのは応援の言葉ではなく「アンタに、せっかく貯めてきた私の老後のお金を払うわけ?」と衝撃の言葉を放たれました。これは今でも忘れられません。(苦笑)でも17歳くらいのただの高校生だった私には衝撃的すぎました・・・。😭😭😭
「NAOさん、かわいそう」って今思いましたか?そんなことはないんです。
今考えると母親の反応はフツーなのです。
予備校に一度通ったくせに誰かに反対されたわけでもなく、自分で勝手に「自分はダメだ」と思い込み予備校を辞め、半年ほどウジウジ・モジモジし、クラスメイトには勝手に イライラ波動 を飛ばしまくり(迷惑)、最終的には「やっぱり美大に行きたい」と泣きじゃくる。これじゃただのワガママ野郎です。良い加減人のこと振り回すな、と。
両親との関係で、大人になっても拗らせている方はいらっしゃいますか?
こんなふうに思ってはいないでしょうか?もしくは、拗らせていた当時、思っていませんでしたか?
拗らせてしまう感情の正体は、“ あなたの様の(勝手な)期待 ”です。期待の度合いによってそれだけ「ガッカリ」したり「ヨッシャー」となったりするわけなんです。これが一喜一憂というやつですね。
それこそが、親から子への愛ではないの!?と、当時は、母親に親としての期待をし、当たり前として思い込んでいたのです。(はい!また思い込み〜)
母親は私の理想の愛とは、いつも、いつでも全く真逆な態度なのでした…。「親が子供を愛して当然、子供は宝物」というイメージは、これは完全に父親からの刷り込みでした。
父親は母親との真逆、子煩悩で、いつも優しく、困った時には助け舟を出してくれました。私にとって、いつでも助けてくれる父親は、まさにドラえもんのような存在でした。
「お父さ〜ん、〇〇に困っているの。」
そういえば、基本的には何でも手を差し伸べてくれました。
お金、勉強の宿題、雨の日の登下校、塾の送り迎え、お腹が空いたetc…。
いつも、というわけではありませんが、だとしても父親は極力手を差し伸べてくれていました。
それゆえ、父親っ子だった私にとっては、母親は完全な悪者だったのです。
ですが、今となっては父親だって悪者としても解釈できる見方をできます。父親の上記の行為は大変助かりますが、いつでもカンタンに助けてもらっていたら、自分でひたむきに努力をする能力は培われないでしょう。いつも他人を当てにする人になっていたかもしれません。
出来事の解釈と感情のバランス感覚
当時は、そういう一方的なネガティブとポジティブの片面に偏った解釈しか、することができませんでした。
なんせ、今みたいに物事の解釈、俯瞰的に見たり、出来事を分析し、深い思考をする知識が、経験がなかったからです。
今でこそ、父親からもらったイメージ像を母親にぶつけてしまって、本当に申し訳なかったとは思っていますし、母親なりの愛情のカタチであったことは今でこそ、理解しています。
まぁ当時、私NAOは、わからずやでしたので、いつも母親とはバチバチのバトルを繰り広げていたのでした。。。
「1年間で合格しなければ、フリーターになって、家から追い出す(一人暮らししなさい)勝手に自分の人生歩みなさい!」と言われる始末。(あなたの人生知りません。)と本当に、突き放されました…。「これが、母親なの!?まったく望んでない!!こんな母親…!!!涙」と、いつも、世間の優しいママが羨ましくて、羨ましくて、たまりませんでした。涙
世間のママと、実の母親を比較していたことも、今では大きな反省点ですね。
# 親子関係のバランス
優しすぎる父親だったからこそ、「鬼ババア!」(思春期って皆こんな感じでしょ?(笑))と言いたくなるような怖い母親がセットでいてくれて、私の人生のバランスをとってくれていたのだと、今では深く理解しています。
本気の快進撃
話が#親子関係になってしまいましたので受験時代に話を戻しますね。
現役での受験は、一度 高校2年の夏から美術予備校に通ったものの、絵が上手な人がいっぱいいすぎて、自分がうまいなんて、勘違いだったのかも…と思い、一度は予備校を辞めましたが。
一般大学のオープンキャンパスに見学に行っても、「そこにいる自分」をまったくイメージできなかったんですよね。
結局「やっぱり美大に行きたい!」となりました。そのときにはもう高校3年生の冬。受験にはギリギリ。
進路決めが遅くなり、現役受験は撃沈。。。
そう、このときの私は、まさに自分色で生きる(自分軸で生きる)どころか他人に、外側の現実に振り回されっぱなしでした。引き寄せの法則、宇宙の法則を知らなかったので、当然のことでした。外側が先にあるものだと思っていたのでね。
と、自分のマインドによって現実がこんなにもややこしくなっている(=自作自演)散々なことをこのようにして 引き寄せてしまいましたが、
《自分で自分の人生を決める》という人生において大切なことを初めて自分で実践できたのが、進路決め、自分で選んだことに責任を持って目標達成まで行動しつづける、この受験期だったと思うんですよね。
わたし自身大変でしたし両親を振り回してしまいましたが、17〜18歳の間で、自分で決めたことに対して責任を取る!!!という意識の練習になって、本当に良かったです。
→超努力した結果、たった1年で、武蔵美に合格しました。
美大合格までの道のり・引き寄せ
現役では受からなかったので、結局1年間だけ浪人することに。春から気をあらためて、デッサン、色彩平面構成のイチから基礎の基礎を学び直しました。千葉県内から行ける他の予備校のコンクールも、池袋、立川、渋谷、お茶の水….と、全部行きました。
予備校に出戻った最初、やっぱりビリでした。しかし、クロッキー(形をとる練習)も何十冊もして、どんどん私大(武蔵美・多摩美)には受かるレベルになっていったのを今でも覚えています。
お金もかけられる範囲がありましたので、ツテをたどって、美大受験が終わった人の画材を一式5000円の格安!!で買取り、それを使いました。(引き寄せ発動)
引き寄せは“ 常に発動 ”している
これも引き寄せの法則なのですが、然るべき時、然るべきものは与えられるんです、必ず。受験の道具一式5000円は普通にありえないことです。でも、わたしは、あの時思考(上のセリフ↑)をしたから、実際に引き寄せることができました。
実際、美大受験をしたことがある方でしたら、状況がわかっていただけると思いますが、新品で揃えたら全部で10万くらいしてしまうかもしれませんよね??当時18歳の週1バイトの美大浪人生が10万を稼ぐとなったら、どれくらい時間と労力が必要でしょう?それくらい、画材って高い。。。
自分の受験合格という目標にフォーカスした行動と努力、引き寄せの法則を活用し、見事1年で合格したのでした。めでたし、めでたし…。
|
|
|
その後、充実の美大生活4年間を過ごします。(今回は割愛します)
どんな作品を作っていたか知りたい方はこちら
|
|
|
人生の試練2・美大を未就職で卒業。
▶︎▶︎▶︎ 美大生〜未就職で卒業(23〜27歳)
なんと、今度はせっかく有名美大を卒業したのにも関わらず、未就職で卒業してしまったのでした。
都内に下宿までさせて、医学部並みにかかる高い学費も、浪人時代も母親と言い合いのケンカはしたけれど、なんだかんだ応援してくれたのにこんな残念な結果を当時の両親はどう思っていたでしょう。相当ガッカリさせてしまったのではないでしょうか。。。
始まったのは、ただバイトと作家活動の日々
バイトの転職は、おそらく7〜9回(!?)してしまいました。アーティストとしての実績は、今だから自信を持って出せますけれど、履歴書なんてボロッボロですよ。行く場所、行く場所、パワハラ、モラハラ、残業、激務のオンパレード。おそらく当時のセルフイメージが低すぎたので、そういう「イジメ」に遭いやすいだとか、セルフイメージ通りの環境を引き寄せてしまったのですね。
しかも仕事はどれも全然続かなくて、自分で履歴書を傷つけるばかりでした。。毎月の年金も払うのがキツくて、自分で市役所に行き、ストップをかけに行ったのを思い出します。学生という美味しい身分保証がなくなった途端、払うものがいっぱいありすぎてビビりました。(世間知らずすぎ)
卒業してみて初めて理解しました。両親のお金で守られていた“ 大学生 ”という称号・看板が何もなくなってから、の超絶的な生きづらさ。。。
1時間30分の満員電車通勤も嫌だし!(苦しい・臭い!耐えられない!)
決められたお給料も嫌だし!(お金もっと入ってこいや!)
強制的な残業も嫌だし(明日に響くし….!)
絵が描ける職場だと思って入れば実は全く絵を描く仕事がなくて、筆洗い、道具洗い、ただの雑用の雑用の雑用ばかりの仕事。。。
「全く、のそんでな〜い!!!」
怒+涙
上司、社長の顔色をうかがって仕事をする毎日で、いっきに老け込みました。私は、割と若く見られることが多いですけれど、あの時ばかりは、老けました。。
健康体なはずなのに、無駄に病気になるし、ついにはベッドから動けなくなったんです。。
そんな日々が5年過ぎようとしていて、
このままじゃ「本当にまずい」と出た行動は…
→ 父の知り合いの経営者に頭を下げて絵と引き換えにお金をもらう。
→ 全ての時間を制作+自己投資に費やす。自分で生計を立てる。
→ 機能不全家庭の環境が嫌でたまらなく家出計画を企てる
→ 勝手に賃貸を契約して実際に家を飛び出す(自立)する。
実家暮らしの時、しまいには台所に立たせてもらえなくなり、一人暮らしとあまり変わらない生活をしていたことに気づきました。それならもう「一人暮らししよう」となりました。実家にいる意味がなかったので。
ちなみに、当時バイトだけでなく、あらゆる「イケそう!」なコンペに出しまくり賞金稼ぎをしていました。(苦笑)賞金も何気に3万円〜だったりするので、ギャンブル、博打のようですが、当たればバイトするより手軽に稼げると、当時の私は感じていたので、「数打てば当たる精神」で出していましたね。実家にいるとき父親に「お前、どうやってお金やりくりしてるの?」と言われていましたが「私、カイジだからさ」と。(笑)
そのときの内容は、こちらに全て記述しましたので、ご興味がある方はコチラもぜひ。(若かりし私…)
↓⋰ ⋱↓⋰ ⋱↓⋰ ⋱↓⋰ ⋱↓⋰ ⋱↓
人生の試練3 毎度こじらせる恋愛に悩み続ける
それでも運命のパートナーを引き寄せることに成功、結婚へ。
わたしNAOは三番目の子として、優しい穏やかな父親と、毎度バトリにバトっている厳しい母親の間に生まれました。(↑前述のとおりです)
なので母親の言動には、たくさん傷ついてきました。
ですが、望んだ美大に行かせてくれたりと、今では両親のたくさんの愛に気づくことができ、「わたしは愛されていたんだな」という自覚があります。
でも実際幼稚園以降〜からの人生、小学校〜浪人時代、美大に入るまでは全く人生に楽しさ、生き甲斐を見出せなくて『 消えてしまいたい 』と何度も繰り返し思う時がありました。実際、小学生〜中学生までひどいイジメは続きました。進学によってひどいイジメは消えましたが、高校生になっても嫌味を言われるなどありました。
勇気を出して『いじめられてる』と母親に告げても、無理やり車に乗せられて学校につれていかれました。共働きでしたので、小さな子供ひとり家にいられては困ったのでしょう。それに母親世代は土の時代ですから、常識が私の世代と全く異なり、学校に行かない=おかしい、ダメだ、という図式だったのだと思います。実際、母親からの返答は『 ウジウジしているお前が悪い、堂々としていればそんなことない。 』と、守ってもらえたという記憶がありませんでした。
それにしても無理やり行きたくもない学校に連れて行かれるのは、まさに地獄の時間を過ごすことになるので、もう遅いですが、不登校になりたかったです…。切実に。
今の時代ならフリースクールでも、選択肢はなんでもあると思うので、私のような状態のお子さんはこういう選択肢の方が、心が死ななくていいと思いますよ。と余談でした。
結婚に対するネガティブな思い込み
いつもイライラしている母親をそばで見て育ち、感じていたのは「 家庭を持つと不幸になるんだな 」ということです。看護師としてただでさえ激務な仕事をする中、子育て三人をしている母親。今大人になった自分で解釈すれば、相当大変だっただろうな…とよくわかります。
ですが、自分がいるから、母親はなんだか、めんどくさそうだ。迷惑をかけているんじゃないかな。。反対に、父親はとても優しかったので、「こんな環境にいるくらいなら、早く離婚してくれないかな…」と思っていました。(こんなに仲悪いのに、離婚せずにいるのが不思議でならない。。。)
「結婚すると、不幸になるんだ」
「異性と付き合うと、めんどくさいんだ」
「子供がいると、人生が大変なんだ」
実家にいるまで上記のことが、ず〜っと潜在意識に刷り込まれてしまいました。こういう経験をされた方、今もしている方きっと私だけじゃないはずです。なので、上の兄弟もまだ結婚していません。多分、幸せなイメージが湧かないんだと思います。とっても、気持ちわかりますよ。
大学2年生くらいから、どうにかこうにか、私自身の人生の問題を解決したくて、本を読み出して、
「 インナーチャイルドを癒す 」
「 潜在意識を書き換える 」
「 自分の人生を取り戻す 」
など、興味を持って、絵の制作と同時にたくさんのお金と時間を費やしてきました。
そういう関連のセミナーにも参加しましたし、そういう人生についてのお話を聞いたり、考えることが好きで、有名な著者である本田健さんのセミナー、浅見帆帆子さんのセミナーのお手伝いもしたことがあります。
(セミナースタッフの端くれだったので、当ご本人方との面識はほぼないです。)
私自身も、自分の人生を取り戻すのに、とても時間がかかったと思います。
やっぱり、5〜7年はかかった気がします。人によると思いますが。
「絶対、結婚なんて、しないわ。」「それより、アーティストとして成功するのが先だから、パートナーシップは、私の人生にいらない。」「傷ついたりする時間がもったいない。」と思ってきた私ですが、
それでもノートにひっそり、とりあえずの願望として、「こんな人がいいな」と、書き記していたパートナーと本当に出会い(思い返すと勝手にやってきて)付き合い、結婚し、今に至ります。最初はもちろんケンカ、いや、今も普通に人間ですから、時折ケンカはします。それでも、すぐに仲直りできますし、お互いの価値観の違いを受け入れ、楽しく生活ができています。
あんなに、結婚したら不幸になるって思っていたけれど、今では心から、結婚して良かった!と自信を持って言えますし、結婚を考えている方には、「結婚、いいよ!楽しいよ!」と推したいです。一緒にいてくれる主人にもとても感謝しています。
マインド(考え方)が変われば、解釈が変われば、
人生まるっと、ガラッと変わる。
そんなことを伝えたくて、書き綴ってみましたが、とても、前置きが長くて、ごめんなさい….。
とにかく、
「叶えられないだろうな〜」「自分には、無理だろうな〜」
そんな刷り込みを少しずつ少しずつ破壊して、現実想像、創造、引き寄せてきました。
そんな私NAOから、そのような私だったからこそ、お伝えできることがあると思うのでよろしければ、最後に、少しだけ聞いていっていただけたらと思います。
それは…..
▼ ┈┈┈┈┈ 有料部分へ(満足いかなければ返金可能) ┈┈┈┈┈▼
有料記事の最後には、
通常の有料コンテンツの特典、
引き寄せの法則に関する動画2本をご用意させていただいております。
ここから先は
「NAOをサポートしたい」と思った方がご利用いただけます。 いただいたサポートは活動費用にさせていただきます。 From┊infinity artist NAO