棘
好きな人のたった一人の特別になりたくて、それは紛れもない本心だったからそんなことを思っているとはっきり伝えた。でも言い切ったあとに少しの後ろめたさが胸の奥に重たく存在しているのに気づいて、それはまだ自分が日常を生きている証なのだと実感した。散りばめられた小さな優しさが私を日常に押しとどめる。今まで唯一自分が拠り所として築いてきた居場所なのだからそれは仕方のないことなのかもしれない。
未来や相手の気持ちは見えない。だけど信じてほしいと自分の気持ちを差し出すことはできる。誠意、とは違うもっと手前の純粋な湧水のようなもの。できるだけ自分の中にあるときのまま伝えたいけど、言葉にした瞬間から少しずつ変わってしまう気がする。空気に触れて、電波を通して、少しずつ。だから言葉じゃない方法でも伝えたい。幸い、私たちはその手段を知っている。確かな手段だと思う。
ずっとや永遠が存在しないから、せめて少しでもずっとや永遠と思う気持ちが続きますようにとお互いに交換し合う他ない。それを悲しむのではなく愛おしむことだと教えてもらっている気がする。
自分の気持ちを差し出そうとするときそれ以外の気持ちがいらなくなってしまうのは、好きな人から愛されたいという希望以前に自分が好きな人をまっすぐ愛せるかどうかが私の中で重要で、それでここまできたならやっぱりこれからもそういう生き方しかできないんだと思う。どうか君が私の最後の恋人でありますように。
何かがはじまるとき、別の何かは終わりを迎えるということ。それをもっと目の当たりにしていかなければならなくて、それはきっと関係する人たち全てに大きさを問わず棘を刺していく作業になる。自分のすることに責任を持って刺していく。自分にも同じだけの量を刺せばそのひとたちに許してもらえるんだろうか。許されなくても構わないのだけど、それだとあまりにも自分勝手すぎるから、結局は比べものにならない棘を刺して生きていくしかないのかもしれない。でもそれで必要以上に自分を責めずにいられるなら容易いとすら思う。自分に刺す棘など意味を持たない。
それでもこの先の不確かな未来に幸せを見出せるときがあるのは、私の思考を越える深い愛情を受け取っている証なんだと思う。本音を言えばとてもさみしがりやではなれてちゃ意味がないとすら思っていたのに、手にとるように愛されていると実感できるから人生分からないものだね。はじめてをたくさん教えてもらっている。
ぜんぶ自分だけに向けられたい。というのは、もう全て愛してるよというとの同じだけの重さを伴う最大のわがまま。
あなたの全てが欲しい、そしてそれを受け取ろうとする時感じることでしか、ほんとうの自分たちの気持ちは分からない。
嬉しくて、苦しい。苦しいのは、愛してることだけは分かるのにそれ以外ままならないから。でも苦しくなかったら、苦しみを伴わないで人を深く愛するなんてそもそもできないのかもしれない。それでももっと、と言ってくれるなら、やっぱり全てを差し出したくなる。どうしようもなく愛してしまうことに抗えないでいる。
想像する。しあわせ。だけど怖い。
なにが怖いのか、君の目が夢から覚めてしまうことなのかもしれない。
ずっと夢の中にいて、わたしからそそがれ続けて溺れていて。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?