noteはアプリがあるって聞いたので登録してみた。 それまでブラウザ開いて読んでいたのでくっそ面倒だったけど、これで読んだり書いたりすることが出来るらしい。 小さな頃から飽き性で、日記を書くのはもちろん続かないし、ピアノを弾くのもそろばんを習うのも書道も英語教室も全部、姉の影響で始めたは良いがやっぱり続かなかった。書道だけは10年くらいやったけど、今も字が綺麗かと聞かれたら全く自信ないし、そもそも書道で上達したのは草書と行書だから今後の人生で発揮されることも無さそうです。
好きな人のたった一人の特別になりたくて、それは紛れもない本心だったからそんなことを思っているとはっきり伝えた。でも言い切ったあとに少しの後ろめたさが胸の奥に重たく存在しているのに気づいて、それはまだ自分が日常を生きている証なのだと実感した。散りばめられた小さな優しさが私を日常に押しとどめる。今まで唯一自分が拠り所として築いてきた居場所なのだからそれは仕方のないことなのかもしれない。 未来や相手の気持ちは見えない。だけど信じてほしいと自分の気持ちを差し出すことはできる。誠意、
考えすぎてひどく落ち込んでいたことが、そんなの全部無意味だよ、だって特別なんでしょう?と脳内に直接突きつけられた日。文字より電話より触れられる距離にいることの全てを、自分だけを追う優しい視線で思い知る。 よく考えているつもりでも、自分だけが背負うつもりでも、全てつもりなだけでなにひとつ果たしてはいない。この人の前では嘘はつけない、と思った。ほんとうのことだけが見える。弱くてだめで不安定でも、それでも大切だからどうしても守りたいんでしょう?と私の内側から声が聞こえる。その声を
わかるのは愛してることだけ。 誰かを好きだと思う気持ちほど自分勝手なものはないよなと思う。はじまりは自分の気持ちだけなんだから勝手もなにもないんだけれど。 自分の身体の中にだけしまっておくこともできるのに、伝えてみたところで届くかどうかも分からないのにちゃんと伝わってしまう時もある。でもいつの間にか消えてしまったり違う誰かを想ったりするんだから、やっぱり勝手、というより自由そのものかもしれない。 相手のことを良く知らなくても好きだと思うのは知りたいと思うからで、分かり得な
明け方、季節が変わるための雨が降る。今年もゆっくり秋に包まれていく。誰かのことを深く知りたいと思う時、少しずつ戻れなくなるのと同じだと思った。気付いた時には全て染まっている。 近くにいるから分かるなんて単純ではないけれど、離れているから分からないっていうのはやっぱりあって、それはもう仕方なくて。だからなおさら。 今何してる?今どんなこと考えてる? 夢みたいに幸せで大切な記憶を何度も思い出しているせいでそれが本当に現実だったのか分からなくなってしまいそう。もう一度忘れなくさせ
毎日いつでも会いたいってもう大好きってことじゃん。特別な友達でも毎日いつでもは会わないもんなぁ。 あなたのことが大好きですといつでも伝えられるのは恋人同士の一番の特権。 暑い。秋がまた遠くなる。 幸せだよと君は何度も言うものの、きっと言えないでいることもたくさんあるなんてことは考えなくても分かるし、そのことを想像すると弱くなってしまうけれど、それでも今日も想わずにはいられない。お互いがお互いにだけしか見えない見せられない美しく柔らかなものを持ち寄っている。 愚かですか
何度も。何度でも。 西陽が差す君が住んでいる街を、旋回する飛行機の中から眺めて来た道を帰る。 会いたい人に比較的自由に会える時代に生まれてよかったけど、いつでも会えるわけじゃない。 同じ家とか向かいの部屋に住んでたら良かったけど、でももしそうだったら、こんなにたくさんの感情をぜんぶ大切に抱きしめていられたかなとも思う。もっと簡単に優しさや甘さを消費していたかもしれない。良いとか悪いとかじゃなくて。 やっと会えたねの数日後に必ずやってくるまたねを何度も越えるなんて無理。想い
こんなにめまぐるしく感情が動く日が来るなんて一年前は全く予想してなかった。というような最近です。 守るべきものがあるとして、それは誰にでも等しくひとつだけだとして、だとしたら私はひとつも選べずに立ち尽くして泣くんだと思う。なんで泣いてるのか、理由が分からない涙をひたすら流して。 一歩踏み込んだら必ず関係性が変わることを覚悟をして飛び越えたのに、まさか思っても見ない方の覚悟が必要で、不確かなはずのものが確かに手の中にあって、気づいたらもう絶対に悲しませたくなくて、これがどん
会いたい人がいる一方で、会わなくなってしまった人のことを思った日。 自分の人生で心を通わせる人たちはそう多くなさそうだけど、それでもその全ての出会いが一生続くものではないことも今はじゅうぶんに分かっている。 恋人でも、友達でも、奇跡のような巡り合わせで一度はとても分かり合えても、タイミングや転機ですれ違ってしまうことが少なからずあって、そのまま離れてしまうことも更に少なからずあって、そういうとき私はすんなりそれを受け入れてしまいます。 追いかけたり、説明したり、そうした
何もないことが全て。今目の前にいることが君への全て。 本屋ばかりを巡る日。 身支度に思ったより時間がかかってしまい待ち合わせに遅れる。しかし背が高いので見つけやすいのは毎度助かる。走ったせいで汗が止まらない10月の始め。 改めて顔を見上げると今までで一番個性的な髪型な気がするが似合っていると思った。起き抜けの寝癖も見てみたくなるよと思う。そのレンズ越しの私はいつもより透明感があるはずだと思うくらいの水色。水泳のゴーグルみたいなやつじゃなかった。 さっそく大型書店に向かう。
目が覚めてしまったから、忘れないうちに。 今日は久しぶりに遠くに行った。遠出。 待ち合わせはスムーズに行く時とそうでない時があって、今日はそうでない時だった。 "都内でばったり会う"なんてことがたまにあるとして、あれは本当はすごい事なのかもしれない。 知らない場所に初めて行く時の高揚する感じは何とも言えない。流れる景色はどんどん開けていく。初めて聞く発車メロディ。思っていたより電車もあっという間だった。 子どもの頃は誰にでもあるのに、私とあなたの子どもの頃は全然違ってて
心が揺れると、ことばが溢れることに気づく。 穏やかな生活の日々にはない感覚。 傍にいてほしい訳でもなく、寂しい時に慰めて欲しいわけでもなくて、 私が居て欲しいと思った時に隣にいてほしい人。都合の良い人。 失いたくないと思った瞬間から、言いたい事が言えなくなる呪いにかかる。 本音が言えない、キリがない想い。大事にしたいって独占欲と相まって夢から醒めちゃう。 詰まらないなんて無駄だよ。本気で好きってのも面倒。 好きの手前が一番好き。 最中はいっつも知らない感情が剥き出しにな
秋になると思い出す人がいる。 一周すら季節を繰り返せなかったくせに記憶だけは鮮明に写していった人。 初めて二人で待ち合わせをした秋の始まりと、春の始まりに実家に帰ると見送った東京駅までの数ヶ月。 映画の前にドーナッツを食べたり、宇多田ヒカルの新曲を電話口で歌わせられたりまぁ好き勝手だったよなと思うけど、きっとその何倍も私は好き勝手だったかもしれない。 もう10年目の秋です。 東京駅の改札で、もう会うことはないと気づいた様に一人で勝手に終わりにして、電話も出なくてごめん
夜が来るのが一日ずつ早くなっていく。 薄暗くなったホームに電車が入ってきて足元が少し照らされる感じとか、夏には見向きもしなかったことが気になってしまう。 幸せだと思うことも寂しいと思うことも、慣れてしまえば日常になるのを知っているけど、それが悲しいことだとはいつの間にか思わなくなった。 些細なことでも繰り返しじゃなくて当たり前なんかじゃないって分かるうちに伝えておきたい事が本音だとしたら、君に言うことは何一つ正直じゃないかもしれない。 昨日と今日とでさえ考えてることが
すっかり秋が来て、夏の出来事が遠い昔に帰ってしまった。 まだ思い出せるけど、君は今何してるんだろう。ぼんやりと同じことを繰り返し思ううちに数週間が経った。 進んだ分戻れなくなって、関わるほど色濃く記憶に残ってしまうのにまた会いたくなるのは多分…そう。何なのか分からない。分からないままにしておくのは日持ちしないケーキを冷蔵庫に入れておくのと同じこと。悪いことじゃないけど、長引かせて良いものかも分からない。 どうしても寂しくなるまで、と大切に取っておいた思い出を、いつ開けてし
好きな人の声が好きだ、と思う。 今日も良いことがひとつありますように。 知った気になってはいけない。あなたのこと。私のことも少しも知らないくせに。 それでもたった1%知ることができて嬉しくなるのは、恋なんかじゃないもっと特別なことだと思いたい。 昔聞いていた曲が新しい意味を連れてくる時、私が悲しい顔をしなくて済むのは間違いなく君のおかげで、だけどそれを伝えたら困らせてしまうかもしれないから黙っておく。 次に住むなら広いベランダのある部屋が良い。 雨が降っていても外で本を