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生きるのが上手い人、下手な人。

人間が織り成す社会は全てが虚構で成り立っている。昨日書いた投稿もその一部だけれど、どこかで見た言葉だと思っていたら、『サピエンス全史』だった。まだ読んではいないけど、国もお金も法律も全てが虚構であるという主張だけ知っている。

お金というのは実体がない。米や小麦を通貨にすればお腹がすいた時に食べることができる。実際に価値がある。でも、お金には本当の意味での価値はない。だから、お金は虚構だという。

昨日、巨大なリゾートホテルが1つの生き物のように見えるという話をしたけれど、お金や法律も生き物として見えそうだ。というよりかは、もっと大きな生き物、国とか、社会とかの内臓みたいなものか。お金に限って言えば血液かもしれない。

では、虚構が1つの生き物ならば、その脳とも言える部分はなんなのだろう?何が、虚構を仕切り、動かし、変化させるのか。生き物の器官をコントロールしているのは誰なのか。政治家か、フリーメイソンのような組織か。あるいは脳などないのか。たくさんの虚構がそれぞれ好き勝手生きているとしたら、虚構が虚構を生み出し始めたら。

人は自分たちの作り出した虚構にすがって生きている。お金がないと幸せになれない。いい家に住み、いい仕事につき、いい家族を持ち、幸せになる。1つの仕事をやり抜き、法律を守り、国家に忠誠を誓い、正義を信じて死ぬ。

虚構があるからこそ文明は発達し、豊かな暮らしが成り立ってきた。しかし、その虚構の中で生きるのが上手い人と、下手な人がいて、その差はどんどん大きくなっている。お金を稼げる人。会社で昇進する人。起業家。タレント。アーティスト。一方で、バイト、非正規雇用、ニート、無職。躁鬱になるような人も下手な方だろう。

虚構を作り出せる人だけが、虚構の中で生きていけるのだろうか。でも、虚構を作り出して、それにすがって生きていることにどんな意味があるのだろう。もちろん、本気で人のために事業を興し、世のため人のため身を粉にして働く人もいる。それとは逆にお金のため立身出世のために働く人もいる。生活のためだけに働く人もいる。どう違いを認め、何を信じて生きればいいのか分からなくなる。

ただ虚構に従って生きることができれば幸せだったのかもしれないけど、一度お金や社会が信じられなくなった瞬間、本当の幸せってなんなんだろうと考え始めてしまう。正解がないのは知っていても、正解を追い求めてしまう。正解が分かったとしても、それも虚構なのだ。

お金を稼ぐ力のある人が少し羨ましい。
上手に人間関係を維持できたり、権力を利用できる人が少し羨ましい。
虚構を利用しながら、上手に生きていけるようになりたい。
でも、それができるようになったところで、悩みは尽きないのがわかっている。

思考は迷路。現実解だけでも見つかればいいのに。

なおき

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なおたび
読んでくださって、本当にありがとうございました。