映画「どうすればよかったか」感想(※ネタバレ有り)

「どうすればよかったか」感想
↓↓↓予告編↓↓↓

ネタバレあります!!!!!!!!!注意です。まだ見ていない方は、読まないでくださいね。


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感想。まず、見るのがこわかったけど見てよかった。

以下、非常に個人的な、わたし個人のバイアスがある感想です。

わたしは、この映画で特に印象に残ったシーンがある。

それは、統合失調症になったお姉ちゃん( まこちゃん)と、撮影者である弟藤野知明氏の、二人きりのやり取りのシーンだ。

知明氏の『あの頃の優しかったお姉ちゃん』を思いながら発する言葉。

「お姉ちゃん、僕に何か質問無いの?」 「お父さんとお母さんは、なんであんなひどいことするんだろうね?」 「お姉ちゃん、答えてよ」といった彼の言葉には、

お姉ちゃんへの慕情と、「もしかしたらお姉ちゃんは返事をしてくれるかもしれない」という微かな希望、

一方で、失われてしまった「やさしかったお姉ちゃん」への悲しみや切なさ、諦念、等の感情がこもっていたように、わたしは感じた。

そして、彼とお姉ちゃんの間に流れる沈黙の中に、失われてしまった2人の、かけがえの無かったであろう過去を想像し、心が揺さぶられた。

きっと、お姉ちゃんにとっても、弟にとっても、両者はかけがえのない存在だった。

そして、この「どうすればよかったか」という映画のタイトルは、一体何に対する問いかけなのだろうと、わたしは考えていた。

知明氏は、両親、とりわけお母さんに対して、姉( まこちゃん)を医療につなげる為の説得を試みていた。

しかし映像を見ている限り、あくまで説得によりお母さんの「同意」を得ようとしており、それ以上のアクション、つまり強行的な手段を起こそうとはしていなかった。

知明氏はおそらく、姉に対してどうすれば良いのかは、本当は分かっていた。

両親の同意など取らず、例えば行政の介入を図る、専門家の第三者に相談して介入を依頼する、などの手段をとれたはずだ。あらゆる手段が、視野に入っていたはずなのだ。

しかし彼はそうしなかった。「両親が姉を健康だと言い張ってがっちりガードしている」、というそのガードを、無理やり乗り越えようとはしなかった。それは彼の人間的な良心であり、明確に矛盾する両親にまだ可能性を感じていたのかもしれないし、いつか両親のガードが緩む可能性を探っていたのかもしれない。

しかし、20年間である。姉の苦しみだけを思えば、何か手段はあったとわたしは思う。

結局、お母さんに認知症の症状が出るまで、事態に進展は見られない。

お父さんは変わらずまこちゃんに医学部受験の申し込みをし、お母さんはお姉ちゃんを自宅に閉じ込め、「まこちゃんは至って健康」の一点張りだ。

わたしは、実は知明氏は「まこちゃんの統合失調症を治療したい」という思いと同時に、

「家族の形を保ちたい」という思いを持っていたのではないかと感じた。

彼は姉だけではなく、無意識かもしれないが、両親も大切にしていた。そして、両者の思いの狭間に葛藤し、その分かり合えなさに、もがき苦しんでいた。

結果として20年間以上、現実的な解決手段を取らず、「撮影する」という選択を取った。

もしかしたら彼は、両親がまこちゃんを医療につなぐことに心の底から賛成し、みんなで協力してまこちゃんを支え、「やさしかったお姉ちゃんが戻ってくる」という物語を、本当は映像にしたかったのかもしれない。おそらくそれは無理な話で、夢物語と分かっていても。

あるいは彼は、分かり合えなさの極みのような状態の家族を映し出し、説得という手段を最後まで諦めずに続けて、両親は変わっていくのか、それを見たかったのかもしれない。

無意識にそれらを祈り、切実に、映像を撮り続けていたのかもしれない。

「どうすればよかったか」という問いかけは、

「わたし(知明氏)は、みんな(まこちゃんも両親も)が幸せになるには、どうすればよかったのか」という問いかけではないだろうか。

まこちゃんを主題にしたら、答えは分かり切っている。お姉ちゃんを閉じ込め、がんじがらめにする両親を振り切って、まこちゃんを医療につなげれば良かった。

でも知明氏は、両親を切り離せなかった。だからこそ、この問いが生まれたのだ。

でも、どうやってもみんなが幸せにはなれない。それは事実であるが、わたしは、彼の祈りを、馬鹿にできない。

映画の最終局面で、医療につながって症状が落ち着いたまこちゃんが映し出される。

まこちゃんのピースや笑顔、お父さんと一緒に外でくつろぐ姿、花火を見にいって感動し、写真を撮り、うれしくて知明氏に自分を撮ってもらう姿。

それらは、家族の形が保たれていなければ、成り立たなかったかもしれない。

「どうすればよかったか」という問いかけに、おそらく答えはない。家族を切り捨てても、切り捨てなくても、良いことも悪いこともあるのだ。

家族の矛盾を分かりながらも、家族を切り捨てずに説得し続け、大切にした知明氏を、わたしは馬鹿にできない。知明氏の切なる想いは、理解できるし、彼自身も家族という巨大な力に抑圧されていたのであろうし、その苦しみも計り知れない。

しかし、家族によってうしなわれたものからも、目を背けられない。それは知明氏もきっとそうだ。

早期に医療につながった場合の、まこちゃんのかけがえのない未来。もしくはそれ以前の、医学部受験という押しつぶされそうなほどの暗黙のプレッシャーを感じていたかもしれないまこちゃん。まこちゃんの様々な想いや未来を奪ったのは、まぎれもない両親の縛りと執着なのだ。

そして、この問いかけは自分にも跳ね返る。わたしはどうすればよかったのか。そしてこれからどうすれば良いのか。すべて、答えの無いまま宙に浮かぶ。

でも、答えが無いからこそ、考え続けられ、自分の選択ができる。それは希望だ。そして、誰かの出す答えを否定せずに聞くことができる。おそらくそれも、希望だと思う。

だから、わたしはこの映画を見て、本当に良かった。

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