僕が英語を学び続ける理由
こんにちは。西山です。
今年3月に学校を退職した後、4月から5月にかけて3週間くらいアメリカ旅行に行っていました。
僕が現職教員時代、6年間担当させていただいていた米国への学生ホームステイプログラムがあります。
今年、そのプログラムが4年ぶりに再開することになりました。
今回は中学生のみの訪問でしたが、何かお手伝いしたいというのと、現地の友達との再会を楽しむ!という目的で渡米することに。
半ば強引にではありましたが、一緒に同行させていただくことができました。
僕がこのプログラムの引率業を離れて6年が経っていますが、僕の教員キャリアは、このプログラムへの引率を命じられて始まったようなもの。
再開への喜びは、それはそれは大きいものでした。
またあのワクワクが帰ってくる!
このプログラムを卒業した生徒たちを何十人も見てきましたが、このプログラムが生徒たちに与えた影響は計り知れません。
現地滞在は10日間ほどのプログラムです。
選考から出発までの間には、約半年間に及ぶ英会話を中心とした学習会もあります。
この学習会も含めて、生徒たちは英会話のフレーズを覚えたり、聴き取る力を伸ばしたりと、英語話者としてしっかり成長します。
しかし、当然、生徒たちが学び取るのは、英語のスキルだけではありません。むしろ、この短期間で、自分の思い通りに話せるようになる生徒はなかなかいないものです。
集まってくる生徒の多くは「学校の成績は割と良い方」という特徴があり、今まで勉強してきたことを試したいという思いを持っています。
ですが、その思いも割と序盤で崩される生徒が多いのが現実かなと思います。
そういうちょっとした挫折や悔しさみたいなものも経験するのです。
でもきっと、そういう経験もあるから、成長を感じられるのでしょう。
そんな感性が磨かれ世界が広がった中高生の可能性に、僕はずっとワクワクしていたのかもしれません。
たぶん、高校生の時の僕自身が初渡米で抱いたワクワクに照らし合わせ、頑張れ頑張れって応援したくなってるのかもしれないです。
最近は自動翻訳機の進化が止まりませんが、自動翻訳機を通したコミュニケーションの世界では、ああいうワクワクした感覚ってフルに感じられるのでしょうか。
自分で考えて作る英文への緊張感。
伝わるだろうかという不安。
伝わらなかった時の焦り。
こういった緊張感や不安、焦りというのは、抱く必要のない、払拭すべき「悩み」なのか…
そういう、「予め対処しておくべき悩み」と「経験した方がいい壁」ってあるのではないかという疑問が拭えないので、僕は中高生に英語を教え続けたいのかもしれません。
僕が英語を学び続けたい理由は、英語を学ぶってことが、大きな経験や成長とパッケージだと思うからです。
経験してほしいから、教え続け、教え続けるために、自分自身も学び続ける責任があるのだと思います。
英語はコミュニケーションのツールと言われます。
確かにそうです。
でも、それ以上の何かがあると思わざるを得ないのです。
僕が英語を学びはじめたのは、憧れからでした。
今でも、憧れはあります。
「こんな言い回しを自然にできるって、本当に考えてることが違うんだなぁ」と感心することばかりで。
でも、憧れだけでもダメで、友達でも、仕事でも、たぶんパートナーでも、対等な立場でやり合おうと思えば、ちゃんと成長して、ちゃんとその自分の成長を認識することが大事なのです。
アメリカでホームステイを経験した生徒たちは、帰国後に成長します。
やりたいこととか、これまでの自分とか、しっかり向き合えるから、帰国後の成長が大きいんじゃないかなと思います。
わざわざアメリカに行かなくてもできる、という考えもあります。
でも、やっぱり成長期。吸収力も、感度も、大人のそれとは全然違う。
以前との違いをしっかり捉えられるのが、非日常の中で積める経験の良さなのです。
自動翻訳機の精度とスピードがどんどん改良されていけば、ほとんど違和感なくコミュニケーションが取れ、友達付き合いもビジネスもできるようになるかもしれないです。
もしかしたら、パートナー同士でも、互いの言語を話すことができなくても会話ができたり、ケンカさえできたりしちゃうっていう時代が来るかもしれません。
こうなると、僕が英語を学びはじめたことに抱いた憧れは、きっと過去の価値観になっていき、未来の子どもたちは、また別の憧れを持ち始めるのでしょうね。
いづれにせよ、きっかけは憧れ。
これを言い続けられる僕は、幸せなような気がします。
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