ニセモノのゆるふわ
なぜだか最近、「ゆるふわだよね」と言われることが多い。「ほんわかしてる」「柔らかい雰囲気」というのも、だいたい同じような意味だろう。
言われるのはもっぱらネット上の知り合いからで、リアルで言われることはほとんどない。とまぁ、この事実が、もはや本当にゆるふわなのかどうかを物語っているわけだけど。
ゆるふわ、という言葉の持つイメージはどんなものだろうと考えてみた。表情なら、にこにこ。ひまわりのような明るい笑顔というよりは、すみれのようなやや控えめな微笑み。色なら、パステルカラー。ピンク、みずいろ、ミントグリーン。油絵の具の鮮やかな色合いではなく、水彩絵の具のやわらかさが近いだろう。服装なら、フォーマルやカジュアルよりもフェミニン。髪型なら、これはすでに「ゆるふわパーマ」なるものが存在するくらいに、圧倒的にゆるふわパーマだ。
字をそのまま読むとすれば、ゆるくてふわふわ。たしかにわたしは、きついよりはゆるい。ゴワゴワ・ゴツゴツよりは、ふわふわしてるだろうという自覚はある。だからゆるふわ。ふむ。そう考えるとなるほど、当たらずとも遠からず、といったところなのか。
ただ、あんまりイメージを固めすぎてしまうのもどうなのかなぁ、と思ったりはする。わたしは決してゆるふわブランディングを行ってきたわけではないのだが、そう言われ続けると、イメージを壊さないように振る舞うべきなのか?という考えが浮かんでくるのだ。
気にしなきゃいい。そんなことはわかってるんだけど。
相手の望む姿でいたいと思う。期待に応えたい、という気持ちもあるし、意外な一面を知られてガッカリされたくない、という気持ちも。深く知られるほど、きっと幻滅されてしまうから。
突き詰めれば、わたしはわたしに、あまり自信がないのだ。一方ですごく自己愛が強く、素をさらけ出すことを恐れてもいる。
誰かに見えているわたしも、わたしの一部。それがまったくのニセモノだとは思わない。でも、それ以外にもいろんな顔をした、わたしがいる。ゆるふわなわたしも、毒のあるわたしも、優等生のわたしも、愚かなわたしも、そしてそれ以外のわたしも、全部ひっくるめて愛してほしい。そんなこじらせまくった思いが、胸の中にずっとずっと棲みついている。