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車いすバスケットボールの持つ魅力

はじめに

今日は車いすバスケットボールについて語ってみる。

大学3年で車いすバスケットボールに出会ってから、約8年たった今でも関わり続けている。

「すごいね〜」
「おもしろい?」

と声をかけてもらえることが多いけれど、ちょっとした会話ではその魅力は伝えきれないといつも思っていたので、今日は私が思う車いすバスケットボールの魅力をまじめに言葉にしてみることにした。

車いすバスケットボールってどんな競技?

これを説明するにはまずみてほしい動画がある。

サントリーが出している車いすバスケットボールのルール説明の動画だ。かわいいしわかりやすいと思う。サントリーさんありがとう。

脊髄損傷の方、下肢切断の方、先天性や後天性の病気の方など、選手の抱える障がいの特徴は本当にさまざまである。

そしてさらに身長や体格、性別に性格が加わり、十人十色のプレーを見せてくれる。

そして特色として、プレイヤーの障がいのレベルを分ける「点数制」がある。最も運動能力が高い健常者を4.5点、最も障がいが重く胸から下を動かすことができない選手を1.0点として、0.5点刻みに選手の障がいの程度を鑑みて「持ち点」が決められる。
同時に試合に出る5人の持ち点の合計が14.0点を超えてはいけない、というのがルールだ。

このルールが車いすバスケットボールを面白くさせていると思う。

車いすバスケットボールを好きな理由

理由は大きく3つある。

競技用車いすという特殊な乗り物を乗りこなすことの面白さ

ひとつめは、シンプルに車いすに乗ってバスケする、という要素がめっちゃ面白いと感じたからだ。

くるくると回り、ガシャン!ってぶつかる。片輪を上げたままのシュートなんてサーカスみたいでわぁ!!って盛り上がる。みてて飽きない。手でタイヤを握りしめてブレーキをかけた後には、フロアにタイヤ痕と焦げたにおいがするのだ。かっこよすぎだろ。

わたしもやりたーい!と思って車いすに乗ると、全然できなくて笑えた。10分走り続けたら腕はもうパンパンだし手の皮もズルムケになるし、シュートはリングになんて到底当たらない。車いすは自分の思うように動いてくれなくてもどかしい。それを軽々とやっている選手たちの努力を感じた。すごい。

車いすはオーダーメイドで、座面の高さや幅、タイヤの角度やらタイヤのサイズやら決めることが山ほどあって、その人その人の体に合わせて作られている。個性が重んじられてていいと思った。

それぞれの個性の詰まった車いすで、コートを走り回る姿を見れるのがすごくいいなぁと思ってとりこになった。

これがひとつめ。とってもシンプルでミーハーな思い。

スポーツのすごさを感じる

ミーハーなひとつめの理由と打って変わって、少し真面目な話をしたい。

2019年末から世界で大流行した新型コロナウイルスだが、流行り初めで自分の行動が制限された時、ものすごいストレスを感じなかっただろうか?
旅行に行きたかったのに行けない。行きたかったイベントが無くなった。理不尽に何かを諦めないといけないことや、誰も悪くないからぶつける先がなくて、SNSでは誹謗中傷も見られていた。

障がいを抱えている方々は、私たちがコロナの影響で受けたストレスよりも、さらに強いストレスにさらされ続けていると思うのだ。

例えばビルの2階にめちゃくちゃ自分好みのカフェがあるとして、そこにエレベーターがなかったら?
自分だってLIVEを楽しみたいのに、車いすの人が参加できる設備はないのでごめんなさい、と断られてしまったら?

障がいを持っていることは悪いことではない。なりたくてなったわけではない。なのに環境や社会のあり方が、自分の思い通りにさせてくれない。

こんな憤りを呑み込み続けているはずなのだ。表には出さないけれど。じっと耐えている人の存在も知らずにちょっと自分の行動が制限されたことでワーキャー言ってしまう自分の弱さも痛感するところだと思う。

そして普段から我慢を重ねている彼らを、自由にしてくれるのがスポーツなのだ。

ルールの中では平等でいられる。
社会の何かに邪魔されずに、自由を楽しむことができるのだと思う。
その中で努力を重ねる彼らを見ていると、感受性が高すぎるわたしはぐっと胸が熱くなってしまうんだけれど、わたしだけではないと信じている。

スポーツってすごいなあと思わされる。これが2つめの理由だ。


自分のあり方をみつめられる

わたしはありがたいことに五体満足で生まれ、10歳から21歳まで健常のバスケットボールを続けたわけだけれど、正直あんまりバスケットボールは好きじゃなかった。
好きじゃないのになんでか辞められなくって、続けてた理由は意地とか世間体とかもろもろでわけわかんなくなって、あやとりの紐みたいにぐちゃぐちゃに絡まったまま今も放置されてる。ああいうの解くのって根気いるよね。

運動能力も別に高くないし、負けん気がめちゃくちゃ強いわけでもなく、平凡中の平凡プレイヤーだったわたしはたった5人のスタメンの枠を勝ちとる気概もなく、3番手くらいで試合の勝ち負けに関わりきれない立ち位置に落ち着いていた。

わたしは努力したってスタメンの子より早くも走れなくて、高くも飛べなくて、体を動かしてる時にはどうやったって脳みその働きは鈍くなってIQ2くらいになってしまう。
バスケを好きになりきれなかったわたしにだってまじめに打ち込んだ時期があったけれど、練習で手を抜いているチームメイトが颯爽とわたしを抜いていくのをみるとこの世の理不尽さをまざまざと見せつけられた気がして劣等感に火がついてしまった。たぶん今でも完全には消えていない。

部活というもので「努力してもどうにもならないものがあるのだ」というのは十分に学んだ。

同時に、「頑張ってもチームの役に立てないわたしの存在意義ってなんだろう?」っていつも思ってた。才能というものの壁に思い切りぶち当たった時、努力を求められるのが常だった。
いや、到底越えられないんですけど。わたしからしたらヒマラヤなんですけど。なんて言えずROOKIESかと思う熱血を見せないと怒られる。

壁を乗り越えられない自分はダメなんだと思い知らされ、プレイヤーとしての自分の価値というものを感じられないまま、自尊心は地を這いずり回ったままだった。

車いすバスケットボールに出会ったおかげで、ずっと心の奥底にあった鬱々とした気持ちを救ってもらえた。

先述したとおり、車いすバスケットボールには点数制がある。たとえば4.5点のスタープレイヤーが5人いたとしても、全員同時には出れないのだ。5人の持ち点の合計を14.0点にするには、1点や2点の選手がいないと出場できない。

運動能力でいうと、そりゃ4.5点や4点のプレイヤーが一番で、1点の選手にできることは少ないかもしれない。でも彼らがいないと試合にならない。彼らはチームに必要不可欠なのだ。

このルールに、運動能力が高くないわたしもチームにいてもいいんだよ、と言ってもらった気がしてすごく救われたのだった。

健常だろうが、障がいを持ってようが、みんな「理想の自分」にはなかなかなれない。

「もっとシュートの確率を上げたい!」だとか、「早くターンできるようにしたい!」とか、練習や努力でどうにかなる部分もあるし、「体がもっと動けば」「背がもっと高かったら」って、努力でどうにもならない部分について悩むことももちろんある。大小あるけれどきっとみんな同じだと思うのだ。

「神よ、変えることの出来ない事柄については、それをそのまま受け入れる平静さを、変えることの出来る事柄については、それを変える勇気を、そして、この二つの違いを見定める叡智を、私にお与えください。」
ニーバーの祈り/ラインホールド・ニーバー

ニーバーの祈りでは
変えられないものと変えられるものを見定めるには叡智がいると言っている。

「理想の自分」を思い描くって、難しいなと思う。

そりゃわたしだって身長168cm48kgくらいで長澤まさみと石原さとみと新垣結衣のいいところをとった顔になりたい。そんで50mを5秒台で走れる運動能力と一瞬見ただけで一生忘れない記憶力がほしい。

無理だ。無理すぎる。100ぺん生まれ変わったって全部の条件クリアなんてできない。

そうなのだ。わたしたちが掲げる理想の自分って、自分の枠をはみ出てしまうことが往々にしてあると思う。

努力が美徳とされるけれど、自分の枠を超えようとする努力にはきっと、「こんな自分じゃダメだ」って、自分じゃない何者かになろうとする自己否定もセットになってくると思う。

わたしは、ここまでがわたし、と線を引いてしまうのもいいのではないかなって思う。
そしてその線に届くまでの努力をするのだ。「わたしにできる枠」を増やす方向の努力より、「わたしにできる精一杯」をしっかり満たすのが健全な努力の方向なんじゃないかなって。簡単に満ちるようなら線を引き直せばいい。

科学が発展したことで、なんでもできちゃうような気がする世の中になっちゃったし、自分はここまで、って線をひいちゃうのってすごく勇気がいることだけれど、人生は長いんだから、自分を好きでいられる努力のほうがいいなぁと思う。

我ながらいいことを言った。わたしはわたしでいいのだ、わたし史上最高を目指せばいい。みんなもそうだ。それぞれの最高を目指せばいいのだ。みんなちがってみんないい。金子みすずが降りてきてる。

話が車いすバスケットボールから大きく逸れてしまった。車いすバスケをしながらこんなことを考えているわけで、この出会いにすごく支えられているなと感じる。ありがたい。少しでも長くこの競技に関わって、またたくさんの学びをもらいたいと思う。

おわりに

長々と語ってしまった。そんなこんなで長く関わり続けているから、みんなにも知ってもらいたくて今日は思うままに書いてみた。

車いすバスケットボールに限らずだが、障がい者スポーツにおける競技人口は少しずつ減っている。人数が減っていくと練習もしにくくなってしまうし、やってみたいなって思ってもなかなか始めにくいということになってしまう。少しでも多くの人に知ってもらって、競技人口が増えてくれることを祈るばかりだ。スポーツってやっぱり素晴らしいと思うし、人生を豊かにしてくれると信じている。

よかったらお近くのチーム練習を覗いてみて、ぜひ車いすバスケットボールの魅力に触れてみてほしい。ひとりでもファンが増えてくれますように。

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