映画版のジャイアンになった話
祖母が入院したと、父から連絡が入った。
今回の入院はおおごとだというのが、父の震える声から読み取れた。
わたくしかいのう、御歳29歳。
この歳になるまでに出席した葬式は全部でたった4回。
近しい身内の死は経験したことがなかった。
父方の祖父は兄が生まれる前に亡くなった。
それ以外の祖父母3人は80代後半になって、体にガタはきてしまっているけれど、生きている。
めちゃくちゃ幸せなことである。
「祖父母が亡くなった」ことで忌引きになって学校や職場を休む人をみたとき、まるで他の国の人のことのように感じるほど、わたしの3人の祖父母は元気でいてくれた。
身内が亡くなる世界線など存在しない気がしていた。
25歳の時、父方の祖母が脳卒中になった。
脳幹(脳みそのど真ん中)に血腫ができて、手術できない状態で様子を見てみたけれど、血腫の周りで出血して、半身の麻痺が残った。
父からその話を聞いたのはことが起こった半年後。
話を聞いた時にはもう施設に入ることが決まった後だった。
心配かけたくなかったと父は言ったけれど、肉親が命の危機に瀕していることを教えてもらえなかったことがすごくショックで父を詰った。
そのときはめちゃくちゃばあちゃんに優しくなれた。
毎月電話したし、必要なものはなんでも買って送った。
でも人間の順応って恐ろしいもので、ばあちゃんが施設にいることも、体が不自由であることにも慣れた。なんだ、元気じゃん。よかった。と思うと自然と電話をする回数は減ってしまった。
そして今回の入院。
半身の麻痺で車椅子になっても、頭だけはしっかりしていたばあちゃんの意識がないというのだ。
嚥下が難しく、食べ物が食べれない。
もちろん電話もできない。
コロナ禍の中、病院は面会を許可してくれないし、それは施設に帰っても同じこと。わたしが次にばあちゃん会う条件は、亡くなっていることなのだ。
なんでもいいから無事でいてほしいと思った。
ふと、映画版のジャイアンみたいだなと思った。
普段はのび太のこと馬鹿にしていじめたり暴力を振るったりするくせに、有事の際にはキラキラの目でいいやつぶる。
そんなジャイアンの手のひら返しっぷりが揶揄されているけれど、実に人間らしいなと思った。わたしもジャイアンと同じだ。
勉強できないあいつはダメだ
のろまだとみててイライラする、シャキッとしろよ
こうあるべきなのに
こうしなくちゃ
そんなふうにわたしたちはいつも「人生をどう生きるか」「どう良く生きるか」に一喜一憂して他人と比較して生きているわけだけど
そんなもの「生きていることが当たり前」だと思っているから生まれる考え方なのだ。
生きるか死ぬかを前にして、
テストが0点だろうが100点だろうがどっちでもいい。
わたしたちは平和ボケしている。
平和で暇で、自分の命が、まわりの人間の命が脅かされる怖さを知らないのだ。
はじめて身内の命が脅かされる現状に立ってみて、ボケていたことに気づいた。どんなに幸福だったか気づいた。
でもその渦中にいる時は気づかないもの。つくづく人間って罪深いなと思う。
BUMP OF CHICKENがsuper novaという歌で歌っていたが、本当に大切なものはいなくなってから知るのだ。
失いかける前に気づけたわたしはとてもラッキーかもしれない。祖母との残された時間を映画版ジャイアンよりも熱く大切に過ごしたい。
みんなも大切な人をなくす前にジャイアンになれたらいいよね。後悔のない選択を。