物言わぬレジ打ちの君の未来を憂う
コンビニに行った時の話。
お菓子をひとつ持って、レジへ行った。
レジで若めの男の子が出てきて、
ぺこりと会釈。
無言でわたしが差し出したお菓子のバーコードをピッと読み取り、無言で自動の決済マシンを手で示した。
決済方法を選んで、お金を支払った。
店を出ようとするわたしに彼は小さい声で「…ッシタッ」と言ってレジから離れていった。
え…
君、いる?
バーコードをピッてするくらいわたしがするんだが。
と思った。
なんなら無人のセルフレジよりも、彼に対する「なんだこいつ」という負の感情も一緒に持って帰ってしまうことになり、なおさらに無言のレジ打ち君の存在価値を疑ってしまった。
機械化が進むにつれて、こんな出来事が少しずつ増えている。
機械でよくね?っていうこと。
これまでは単なるマンパワーとして働くことで収入を得ることができていたけれど、
疲れない、休まなくていい優秀な労働力としての機械たちが当たり前に世の中を動かすようになった今、
「人間が労働する意味」
「人間を介在する理由」
が問われていると思うのだ。
高度経済成長期のように、なんかよくわからんけど労働力として周りと同じように頑張って会社に行って、言われた通りのことやってたら豊かになっていく時代は終わった。
企業にとっていちばんの固定費は人件費。
文句言わず安定したパフォーマンスを出し続けられる機械にできることなら、機械にさせた方がいいのである。
単なる労働力としての仕事が奪われ、仕事がない人も増えてくる。収入が得られにくくなる。
機械はどんどん進化して、今新しいiPhoneが15万するけど、たぶん20万25万に値段が上がっていくと思う。
働く場所を失って、収入が減っても
便利な機械を求めて、ようやく貯めたお金で機械を買う。だって便利だから。みんな持ってるから。持ってないと置いていかれるから。
豊かになるために機械化が進んだはずだけれど
いつの間にか立場が逆転している気がするのだ。
機械のために働いているような。
本当だったら自由な時間が増えて嬉しいはずなのに、その自由を持て余しているような気がする。
世の中はもう変化してきている。
その中で自分も変化しなくてはといつも思う。
ダーウィンか誰かが言っていたが、変化できないものは常に淘汰されていく。人間も同じだ。
人間である意味を追求して理解できている者こそ、これからの時代を生き抜けるはず。
レジ打ちなんてなくなる仕事だぞと煽りたいわけじゃない。
機械だけで完結することもできる仕事に、自分が関わる意味ってどこにあるんだろうと考える思考が問われていると感じている。
わたしの仕事もそう。なくなる仕事だと言われている。でもまだなくなってない。人間が関わる意味があるのだ。わたしが関わる意味を自分で見出さなくては、単なるマンパワーではあまりにもむなしい。