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読書ノート【なぜ格差は広がり、どんどん貧しくなるのか?『資本論』について佐藤優先生に聞いてみた】佐藤優

今から150年ほど前、ドイツ生まれの経済学者で哲学者のカールマルクスは、その著書「資本論」で、労働者が悲惨な状況に置かれる資本主義というシステムを詳細に分析し、資本主義の抱える根本的な問題点を論理的に説明してみせました。

P2

資本主義を分析するところまでは良かった。肝心の資本主義を打倒する解決策はよくなかったという評価をされているのか?
であれば、資本主義を分析している部分は今でも通用する内容だと思われる。

これは社会主義が敗北し、資本主義の一人勝ちになった結果、生まれた現象です。すべてを市場(商品市場だけでなく、労働市場も含めて)の自由競争に任せればうまくいくという「市場原理主義」においては、150年前にマルクスが分析した資本の剥き出しの暴力性が極めて残酷な形であらわになります。

P4

新自由主義、良い面もあれば当然負の面もある。資本主義に内在する問題から身を守るために、資本論を理解する意義はある。

資本主義社会では、富は商品の集合体であり、それゆえ商品を分析することが資本主義研究の第1歩である、ということです。

P16

資本主義化の富は、巨大なる商品集積として現れる。商品にはサービスも含まれる。商品を分析することで、資本主義の富について考えられる。

つまり、ある商品とある商品が交換される(価値)には、使用価値があることを前提にしているのです。

P21

使用価値とは、使って役に立つこと。使用価値があるから、交換するための価値がつく。使用価値のない商品には価格(価値)がつかない。反対に価値が付けば、使用価値があると考えてよいのだろうか?

商品の中にはその商品を作るときに費やされた労働が内在しているためです。

P22

労働価値説の説明。商品をつくる際には、必ず労働力が使われる。商品の価値(価格)には、材料費と労働費が含まれるということを広く捉えているのか?

自分で作って自分で消費している限りではマルクスの言う商品とは言えません。商品の価値は商品同士の交換で結果的に生じるから、商品は売れるために作らなければ商品ではない、とマルクスは考えたのです。つまり先程のテーブルで言えば他の商品と交換されることで、初めて商品たり得るのです。
つまり、市場において他者に必要と思われることで、値段がついて売れた瞬間に商品となるのです。この時、商品につけられる価格として現れるものをマルクスは、使用価値と区別して、特に「価値」と呼んでいます。

P24

交換が成立しないと、価値はわからない。商品には2つの価値があると説明している。資本論は交換によって生まれた価値の話をしており、その価値が集積して資本家と労働者の階層に分かれると分析しているのか?

資本主義においては、価格という形で現れる「価値」の側面ばかりが優先され、肝心の使用価値はないがしろにされがちです。極端な話、売れさえすればその商品が社会に対して必要とされなくても、資本家にとってはどうでもいいのです。

P26

この考えが行き過ぎると企業の不祥事となって現れる。売れさえすればいいと考えることは、資本主義の構造上、発生してしまう考え方。商品の価値に振り回されている状況を「物象化」というとのこと。

村の中で自給自足しているような前近代的な共同体の中では富や労働の貸し借りは当たり前のように行われ、そこにおいては金銭のやり取りは基本的に発生しません。
つまり共同体の中では資本主義的な意味での商品は生まれないのです。商品が商品であるためには、それが異なる共同体の間で取引される必要があるのです。

P28

他者との交換によって商品の価値が決まる。だから資本主義は膨らんでいくのかもしれない。家族内で使えるような「肩叩き券」は、資本主義的な意味での価値はない。だけどその家族内(共同体)では、価値がある。
共同体内ではお互いに信用しあうことが前提となっているため、金銭のやり取りが発生しないのか。反対に他者の多い社会では、担保なく信用し合うことができないため、金銭のやり取りを挟んで商品を交換しなければならないのか?

労働者の条件 二重の自由
自由に職業を選べることと、資本家や小商品生産者(職人)のように生産手段を持っていないこと。

P31

労働者の条件定義。現代では知識をもって、仕事を取ってくる人は小商品生産者になるのか?ちょっと定義が分かりづらいが、サラリーマンは労働者に入ることになる。

奴隷と違って、労働者と資本家の関係は労働契約を結ぶまでは基本的に自由かつ平等です。だから、好きな会社と契約を結ぶことができるわけですが、契約を結んだ瞬間から労働者は資本家の指示、命令の下で働かなければなりません。どのように働くかを決めるのも、その労働が生み出す価値を手にするのも資本家です。労働の現場には自由で平等な関係は存在しないのです。

P32

二重の自由が労働者の条件。生産手段を持っていないということは、商品をお金に変える手段を持っていないということ。つまりビジネスモデルを持っていないということなのか?

労働者に支払われる賃金の要素は以上の3つから成り立っていますが、注意してほしいのは、その賃金はあくまでも労働者が翌日も元気に働くのに必要なための最低限の金額だということです。つまり、会社の利益から導き出されたものではありません。会社がいくら儲かっていても、それが労働者にはほとんど還元されないのはそうした理由によるものです。

P36

給料の決まり方。会社が儲かっていても労働者の給料はあがらない。

貨幣を商品に変えるのは簡単だが、商品を貨幣に変えるには困難が伴うことを表した比喩です。

P44

商品の命がけの飛躍という言い回しの解説。ビジネスモデルを持つ難しさを表しているのか?

「お金があれば何でもできる」という考えから、貨幣を神のように崇拝することです。

P46

貨幣のフェチシズムの解説。これは商品の命がけの飛躍の考え方とつながっている。より行き過ぎた考え方なのか。

マルクスは資本はお金ではなく、また工場や機械などの物でもなく、「運動」であると定義しました。それは絶えず価値を増やしながら自己増殖していくとされます。この運動をマルクスは「G-W-G'」という基本式で表し、これを「資本の一般定義」と呼びました。

P54

重要な箇所。「G(貨幣)-W(商品)-G'(貨幣+儲け)」ということか?貨幣が増殖していく、常に投資していくことを前提と考えているのか?資本家と労働者の定義の違いからこのような運動が行われると考えた?

資本とはお金を儲けるための運動であり、この運動を無限に続けるのが「資本主義」の仕組みなのです。

P55

資本主義の定義。いままで説明できなかったが、なんとなく理解していたこと。現代社会のルールの根源となっている。

このように労働力は消費すれば消費するほど、価値が増えていくのです。

P59

ここでの価値は、商品の価値ということ。つまり資本家にとっての儲けが増えていくと考えるべき。たとえ残業代や休日出勤代を払ったとしても、企業の儲けは増える。資本家は労働者を長く働かせたいと思うようになっている。

人間が自由に職業を選べると聞くと、一見素晴らしく思えますが、実はこの自由意志こそが労働者を奴隷におとしめ、過労死の原因となっているのです。なぜなら、長時間労働やサービス残業などの過酷な労働条件を我慢して働き続ける人が多いのは、「自らの自由意志で選んで入社し、自発的に働いている」という自負心があるからです。そこには「与えられた仕事はやり遂げなければならない」という責任感が強く働いています。

P62

やりがいの搾取につながる理由の解説。これは本当にやばい。自分もおちいっていた。

マルクスの時代、産業革命によって科学技術が急激に進歩し、労働環境も大幅に変化しました。ところが、労働者は楽になるどころか、分業化によって一層機械に酷使される阻害の状況が作り出されました。それまで職人が構想(精神的労働)と実行(肉体的労働)を一人で行っていたが、実行だけの単純労働だけを行う労働者になってしまったのです。AIの導入は、これと同じ歴史をたどる恐れがあります。

P100

仕事が効率化しても、仕事量は減らない。これは賃金の決め方も関係しているのか?

労働が分業化により構想と実行に分離されたことが一因になっています。職業選択する時点での学歴などにも左右されますが、構想の仕事は高給与になり、実行する仕事は低給与になる構造が生まれています。

P106

エッセンシャルワークの給与が低い理由。資本家に近いほど給料は高くなりやすいということか?

マルクスは、労働者が徐々に資本に取り込まれていく過程を包摂と呼びました。包摂は形式的包摂と実質的包摂の2段階に分けて論じられます。前者は自分の意志によって好きな時間に労働を行い、収入を得ることができます。
しかし、資本に取り込まれることによって、実質的包摂に移行します。実質的包摂とは、働き方を全て資本家が決め、時間も管理され、ただ資本家や現場監督の指示通りに作業を行うものです。
形式的包摂の状態では、労働者は資本家の指示に消極的に従っているだけでしたが、やがて労働者は資本家と協力して、資本の増殖に自ら積極的に加担していきます。この状態が実質的包摂であり、やりがいの搾取はこうした資本家にとって都合のいい労働者の心のあり方をうまく利用したものと言えるでしょう。

P108

資本に取り込まれるということは、価値を増殖させる運動に取り込まれること。これって今の会社でも同じことが起きているのか?

資本主義社会が存続し、企業も儲かっているはずなのに、労働者の給与が増えないことが近年指摘されています。この理由は大きく分けて2つあります。1つは資本家が労働者に支払う賃金は、マルクスが指摘したように、労働力の再生産費分だけでいいからです。基本的に必要労働時間を越えた余剰労働が生み出す余剰価値は資本家のものになりますので、いくら個々人が残業をして必死に成果を出しても、それがそのまま報酬に反映されることはまず有りません。もちろん、企業によっては賞与などの形で労働者に成果報酬が支払われることがありますが、資本家が搾取している利益に比べればほんのわずかです。

P110

労働者にしはらうお金は儲けから計算されるわけではないから。資本家はビジネスモデル自体に左右される。労働者はそのビジネスモデルが稼げないとわかったら、転職できる。資本家はビジネスモデルを捨てることができても簡単に乗り換えることはできない。

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