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私の母




義父の記事にも少しだけ書きましたが
今回は私の母について記録してみたいと思います


私の母は私が物心ついた時にはバリバリ働いてました


私の記憶にある母はいつも家にいない


母が家にいた記憶と言えば妹が赤ちゃんの時
内職みたいな仕事をしていた母の姿です


家にいても常に仕事していた母でしたから
母と遊んだ記憶はほとんど無く
母の妹(叔母)の家によく泊まりに行ってました

私は妹が遊び相手になる頃までは
いつも一人で遊んでいた記憶しかないです



母はペーパードライバーでした
ですから学校や習い事なども送迎して貰ったこともありません
学校で必要な物などの買い物は母が唯一休みだった日曜日にバスや電車で行ったり
中学生になる頃には自分で自転車で行けるお店に一人で自転車で買い物に行ったりしてました


学校行事も入学式と運動会と卒業式だけは来てくれました
それ以外の授業参観や親子行事には来なかったと記憶しています

父の仕事の関係で成人するまでに2回引っ越しをしています
🏫転校も

私が小学校4年生の時と中学校3年生の時に転校
中学校3年生で転校って普通なかなかないですよね

( ̄▽ ̄;)
受験生ですよ(笑)
しかも夏休みに引っ越しましたから夏休みは友達もいなく
夏休み明けて転入したら即受験地獄💦
右も左もわからない町で(^_^;)

土地が変われば給食も口に合わず転入して早々給食食べ終わるまで居残り💦
昔は強制的に食べさせられましたからね
かなり辛かったことを覚えています



私が中学生になると母は更に仕事に忙しく
朝は私が起きる前には出ていき
帰りは夜8時すぎ

学校から帰宅して私は自分と妹の夕御飯を作っていました
今思えばチャーハンやオムライスくらいかな(^_^;)
あとはインスタント物ですね



高校生になると給食は無くなりますが
朝が早い母にはお弁当作りがキツかったらしく
毎朝1000円がダイニングテーブルに置いてありました
そのお金で毎日学校の購買でパンを買っていました


高校生はバイトが出来たので私はバイト代で友達と夕飯を済ませて帰宅するようになりました

妹は中学生でしたからお金無いので私が中学生の頃みたいに一人チャーハン作って食べたりしてましたね



私が社会人になっても相変わらず朝は早く帰宅も夜遅い母でしたから
会社員で6時半には帰宅していた私が
家族全員の夕飯を作るようになりました
母に教えてもらう時間など無いし
今みたいに携帯もないし簡単にレシピを調べることが出来ませんから
テレビで見た料理や料理本を買ったりして独学で料理を覚えました


今となっては結婚してお料理に困らなかったので良かったのかなと思いますが当時は苦痛でしたね


お友達の家に遊びに行ったり泊まりに行くと
お友達のお母さんが作った美味しいご飯がいつも出てきて
ご馳走になるたびにお友達が羨ましかったです



当時両親はさすがに私に申し訳ないと思ったのかペットを飼ってくれました
柴犬でした
とっても可愛く癒しでした♪
毎日仕事から帰ると散歩へ行き
夜は私の布団で一緒に寝ていました♪
今で言う豆柴みたいに小さかったんですよ
だから家の中で飼ってました(*^^*)
この柴犬がいなかったら私の精神は崩壊していたかもしれません



私が23歳で結婚しても
24歳で長女を出産しても
相変わらず母は仕事忙しく産後の里帰りは一応しましたがお世話をしてくれるのは妹

妹は結婚しても実家へ住んでいたので母も妹に頼り仕事は休んでくれなかったのです
さすがに妹にも旦那さんがいるし妹は仕事もしていたので
妹に申し訳なく里帰りも俗に言う1ヶ月なんて出来ず早々と旦那と住むアパートへ帰りました


次女の出産の時には妹にも子供が生まれていたので私が負担になるのは申し訳なく
私は里帰りはしませんでした
(次女の時は妊娠中に子宮筋腫手術をし入院もし大変でしたが
やはり母は頼れず旦那に仕事休んで貰い長女を見てもらっていました)


その頃が一番大変でしたね
次女が幼稚園に入るまでくらいが



今まで書いて来た内容でわかるかたはわかるかな?
いやわからないですかね

私の父があまり登場しないですよね
父は家庭的ではありませんでしたから
家の事は勿論何もしない亭主関白です


雪の日も台風みたいな日でも
父は仕事が休みで家にいても
私は自転車で学校へ行ったし(勿論妹も)
母も自転車で買い物へ行ったりバスで仕事へ行っていました
お友達は親に送迎して貰っていたのがとっても羨ましかったです


本当に父は何もしてくれませんでした

そうなると想像つく方がいるかもしれませんが
父と母は不仲でした

不仲だから父が何もしてくれなかった訳ではなく
父が家庭的じゃなく何もしてくれなかったから不仲になったのだとのちに私は理解出来ました


父は仕事も真面目に行きませんでした
嫌な事があると休み転職
仕事内容は同じ事をしていましたが会社は転々としていました
ですから引っ越しも2回
私達家族は父に振り回されていたのです



幼い頃から両親の喧嘩は見て来ましたが
中学生くらいで私は父の性格を把握
母の辛さも理解出来ました

高校生くらいからは母が仕事ばかりなのは仕方ないんだ
父がこんな人だから
と自分に言い聞かせてましたが

やっぱり納得出来ないと言うか
悔しいと言うか
うまく言葉に出来ないですが悶々としていました



現在は69歳の両親
今の所は大きな病気も無く離婚もせず
妹家族と暮らしています


1つ変わったことと言えば
母が60歳になった頃から仕事がフルタイムじゃなくなりました
ですから母も少しは時間にも精神的にも余裕が出来たように思います


妹も私と同じ時期くらいからパートへ出ていたので
フルタイムじゃなくなった母に家事を頼れるようになったようですし
子育ても手伝って貰えるようになったようです

父も年齢を重ねてだいぶ穏やかな性格にはなってきたようです
細々とですがまだ仕事をし時折昔からの趣味のパチンコへ行っているようです



私は結婚しても両親のようになりたくなかった
自分に子供が出来たら私みたいな思いは絶対にさせたくないとずっと思っていました

「反面教師」って言うのかな


ですから子供達には出きる限りのことは全てしてきました

それが過保護なのか甘やかしなのか
はたまた普通の家庭なのか
わかりません

ただ子供達に寂しい思いはさせたくなかった
私みたいな思いにはさせたくなかった

それだけで結婚25年
無我夢中で生活して来ました


予想外な展開だったのが
旦那が私以上に子供達を溺愛し過保護だ言うことです(^_^;)
アッシーでありメッシーであり、、、(笑)
まぁ価値観が私と一緒だったのは良かったのかなと


大切にしたいもの
優先したい事
大事だと思うもの

これらが全く一緒の旦那とだからこそ25年平和に暮らせて来たんだと思ってます


育児もだいぶ落ちついてきた頃
私はパート始めました

義父には幼い子供いるのに働くのは子供達が可哀想だと言われ
旦那にも家にいて欲しいと言われてましたから
働きに出るのは本当に久々すぎて最初は大変でした

働きに出たって今まで同様に家事育児はありますからね

フルタイムで働いている方を本当に尊敬します


私が働き出した会社はパートの年齢層が高く
今現在
20代1人
30代3人
あとは40代に50代がほとんどで
60代も結構います

私が仲良くして貰ってる方は娘や同僚と言うよりは母に近い年齢の方が多く
そして皆とっても素敵で優しくユーモアもある尊敬すべき方々です


趣味を持ちお出かけ好きないつもオシャレな方

お料理が上手で昼休憩にはいつも一品持ってきてくれる方

私が「ちいかわ」が好きだと言えば出先で見つけたからと買ってきてくれる方

BTSを娘が好きだと言えば雑誌の切り抜きやらスーパーのBTSのお菓子やら買ってきてくれる方

皆さん私より年上なのに
若々しくて元気で明るくて
多彩な趣味を持ち毎日素敵に輝いている方々

お料理も教えてくれるし
色々な生活の知恵や常識も教えてくれます

日々勉強になることばかりです

体調悪いと本気で心配してくれるし
私の家族のことまで気にかけてくれていて
グループラインもありしょっちゅうラインもしています


本当に毎日感謝しかないです


コロナ禍前までは時折皆で食事へ行ったりカラオケに行ったり
私がまだ無理だったので当時はまだ行けずでしたが
皆でお金毎月貯蓄して旅行に行きましょうと積み立てもしてました


皆さん孫生まれたらお世話で1ヶ月休んだり
孫に何かあれば早退して帰ったり休んだり

母ががこんな人だったらな
普通のお母さんってこんな感じなのかな

とそんなことばかり考えます


遠くの親戚より近くの他人
なんて言ったら実の母に申し訳ない気持ちにもなりますが

現在の私は本当にそんな状態で
パート始めてからまるでお母さんが沢山出来たみたいなんです

ですから不満だらけの会社に10年もいれてます
辞めたらこのような素敵な方々と過ごすことが出来なくなると思うと辞めることをいつも思い直してしまうのです


仲良しライングループから一人
3年前に辞めたんです

でも今でもライングループにはいて近況報告したり時々会ったり仲良くしています(*^^*)
良い人過ぎて縁を切れない切りたくないのです
このグループの方々とは

ですが
私も年々年を取り更年期時期も迎え
会社との(社員との)バトルにはほとほと疲れはてました
いらぬストレスを抱えたくない

私に取ってお母さんの様な大切で必要不可欠な方々とは
転職してもきっと付き合っていけるはず
と信じて

現在転職活動真っ最中です
少しでも穏やかに日々過ごせるようにと。


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