べー

思ったことを書いてます

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最近の記事

婆ちゃん

婆ちゃん。母親代わりになってくれた婆ちゃん。 亡くなって12年でも。よく顔思い浮かべます。 思い浮かべた婆ちゃんの表情が、僕が道を外してるか、良い生き方をしてるかの基準になってると思ってます。 こないだは厳しい顔してた。 「自分を大切にしなさい」 って言われてる感じがしました。 思い浮かべた婆ちゃんが優しい表情をするためには僕はどうしたらいいか、わからないけど。 1つだけわかるのが、 「あー、のほほんとして本当に良い日だなぁ」 「こんな日が来るとは思ってなかっ

    • 母へ。父へ。

      母父へ。 信じれますか、母さん、父さん。 ほんの5年前まで、病で満足に動くことや食べること、寝ること、人と話すこと、、、笑うことも、泣くことも、全てができなく、生きてることで精一杯の寝たりきりの俺が、色んな事を実現してきた今を。 あの頃俺は、そんな未来にしていけるなんて、少しも想像できませんでした。 1つのゴールまでは、紆余曲折が自分にとっての必要な近道だったんです。 俺の周りの人達は本当に大変だったと思います。 迷惑も沢山掛けました。 ちゃんと覚えてます。 で

      • 【庭手伝いで学んだ】踏まれて潰れても「負けなければ」僕はそれでも良いと思うんです

        踏まれて潰れる柔軟さも必要だと思うんです。 このバラが、「北国の大雪の重さ」で春先「全部ぺしゃんこ」に潰れてるのを想像できるかな? 枯れて、ぺしゃんこだったんだ。 それが、ある日を境に一気に立ち上がり、実を付け、幹を伸ばし拡大し、葉も付け、、、それはあっという間だったんだ。 これが「ぺしゃんこにならない程硬い状態なら、、」 きっと復活できない程、重症だったかもしれない。 だから踏まれて、潰れておいて、時期を待ちながら「バラのように見えない幹の中で必ず訪れる春を疑わ

        • FM ラジオカロスサッポロ ゲストに呼んで頂きました

          FMラジオ ラジオカロスサッポロの収録がさっき終わりました。 今回は、 「過去抱えた病(精神疾患)のことと、それを通しての自分にとっての音楽は、、」 「障がい当事者講師団体」 の話になっていきました。 あっという間で話足りなくて、またぜひ話したいと思った楽しい収録でした。 「ファンキーモンキーレディー」パーソナリティーのYURIAさん、スタジオ(局)の運営の皆さん、大変な中ありがとうございました🙇 凄く明るくて、パワフルな方でした。 ボーカリストさんです YUR

        婆ちゃん

        • 母へ。父へ。

        • 【庭手伝いで学んだ】踏まれて潰れても「負けなければ」僕はそれでも良いと思うんです

        • FM ラジオカロスサッポロ ゲストに呼んで頂きました

          「捨てる神あれば拾う神あり」 捨てる神にも役目があると感じるんです

          「捨てる神あれば拾う神あり」 ※ここでの捨てる神は、悪気なんか少しも無い人達や、起きる物事のこと。 必ず拾う神はいる。 でも簡単には見つけ出せない事が多いんだ。 捨てる神にもちゃんと役目があると思うんだ。 捨てる神がいないと「拾う神は、神のような存在に感じない」 捨てる神が多ければ多い程、拾う神を見付けるのが困難であればある程、「拾う神はどんどん極上な神に感じてくる」 その時初めて「捨てる神に感謝が湧くんだ」 だから、見つけ出せるまで粘り強く。 そういう良い想い

          「捨てる神あれば拾う神あり」 捨てる神にも役目があると感じるんです

          演奏でお金貰うトリオバンドに選ばれた大きな理由 会話 出番

          トリオバンドのベースとして選んでくれた大きな理由は、 「協調しようと周りの音に耳傾けてた姿勢」 だった。 オーディションの時、特別な事してない。 コード表渡されてすぐやったから、ドラムのバスドラや周りはどう展開するのか感じて「ルート音」から始めた。 「今どんな会話しようとしてるのかな?」「この人達はどんな話し方するのかな?」、、、 そんなことを捉えることに集中しただけ。 初対面だから、 「挨拶から始まって相手を知る。傾聴する」ことが精一杯だし。 「これなら今の自分で

          演奏でお金貰うトリオバンドに選ばれた大きな理由 会話 出番

          幸不幸を決めるモノ。人や物事を見抜く能力。浮気、詐欺、、、

          やっぱりそうだ。 キレイなモノしか汚れない。 元から汚れきったモノは、それ以上汚れることないから。 人は元よりキレイな心なんだ。 目、耳、鼻、口(味覚)、触覚。 また認識のような「フィルター(五感、六感)」を通して、心に届く。 それが人や物事の見え方や感じ方が決まると言われていて、俺も「そうだなぁホントに」って思うんです。 家電製品のように「汚れたらキレイなフィルターに変える」ことができたら便利だけど、そうはいかない。 フィルター(五感 六感)が汚れてると、ホント

          幸不幸を決めるモノ。人や物事を見抜く能力。浮気、詐欺、、、

          何か1つ。1人で夢中になれるモノが趣味の枠を越えることも経験上だけどあると思うんです

          今年は民族楽器のような木製や竹製の横笛、縦笛造ります。 ゆくゆくはボンゴのような太鼓を。 色んな理由で経済的に楽器を買えない、でもやってみたかった声や人を見て、自分もそういう時期があったのが重なって。 だからコストを抑えるため道具はほとんどが100均で揃えたもので、手作業で、して「好きになれなかったら止めても痛くない安い値段」で。 僕は苦しい時に1人でも夢中になれる楽器で音楽できて、本当に救われたんです。 楽器じゃなくても、何か1つ、人に評価されなくても1人夢中になれ

          何か1つ。1人で夢中になれるモノが趣味の枠を越えることも経験上だけどあると思うんです

          「手術」「武術」、、「術」といってもちゃんと理に。音楽なら、、

          「手術」も理に適ってるように、 「武術」も理に適ってて。 もちろん単純な体力(腕力や打たれ強さ)だけが必要っていう根性論じゃない部分が経験上多いです。 体の100個以上ある急所を学び、日頃そこを打つことと、打たれない(体を少しズラシたり、距離取ったり、さばき力を逃したり受けたり)練習をして条件反射にする。 例えば最初に学ぶ基本の構えだけど、どこまでも大切なのが、 「前屈立ち」「四股立」や「騎馬立ち」 「前屈立ち」は実は自然と人はやってて、車や何か重たい物を押す時に自然

          「手術」「武術」、、「術」といってもちゃんと理に。音楽なら、、

          【ベース話】何も無い所を歩く時、自分の無力感に気付く

          たまたま鳴らした音から次に鳴らしたい音達に。 コード進行っていう道が無い所を歩いていくのは怖い。 行ってみて予想外の違う音が出た時から、また次の行きたい音や、最初に行きたかった音に繋げることは凄く困難で。 本当一瞬の迷いがズレを起こして、一気に波に飲まれて、そこからの建て直しがより困難になる。 音楽の世界も人生と同じで、ここでぶつかってる。 自分の無力感に襲われる。 一瞬も迷わない、疑わない、勇気出して大胆に行くってことが1番大変で、技術や知識より何より1番肝心にな

          【ベース話】何も無い所を歩く時、自分の無力感に気付く

          【俺のベース】安心も、繋がりも、共感も無かった。でも、俺は、、、

          家でも気を張らないといけない状況。 楽しい学校も一時はクラス全体からイジメに。 でも何度も叱られゲンコツはってきた熱血教師の担任は、俺を見捨てなかった。 後から親に、 母「~先生は、「僕が~君(俺)を必ず守ります」と家に来て話してたんだよ」 気付かない所で守られ、見守られてた。 それを知らなかったけど、厳しい中にも嫌いにならなかったのは愛情を感じてたのかもしれない。 中学に入り勘違いして、道反れ良くない仲間と。 でもそこでは繋がり、共感、安心を感じた。 仲間のピン

          【俺のベース】安心も、繋がりも、共感も無かった。でも、俺は、、、

          ゆとり世代とか、さとり世代とか、氷河期世代とか、、、

          ゆとり世代とか、さとり世代とか、氷河期世代(俺はここ)とか、、、。 「甘い」だとか「固い」だとか、「熱すぎる」とか「冷めすぎてる」とか、、「頑丈、ひ弱」だとか、、、。 自分の目標だけを見て自分磨いて、力発揮して向かってる時は、そんなことは何の妨げにもならんし関係ないことに気付く。 でも今この大変な時代、生きてるのは、世代が違っても同じで。 うちの花、大きいのは花枯れ、小さい芽が出た。 大きいのは花枯れたけど、ただ役目が変わっただけで現役で。 俺には、小さい芽が好きに伸

          ゆとり世代とか、さとり世代とか、氷河期世代とか、、、

          離婚。なんで「×バツ」なの?見て聞いて僕はそうじゃないって思います

          離婚したらなんで「×1」なの? 結婚したことないけど経験に聞いてくと、 「結婚までの色んな楽じゃない経緯と大きな決断」 「楽もあれば苦も乗り越えようとした日々」、、、とか。 本気で全く違う他人と幸せ求めていって。 できるかどうかじゃなく、挑戦したことで出た結果はあくまで「結果」。 世の中は結果主義で、現実の証明が大事なのもわかるけど、それも何度も、 「できない。できなかった」 があって、その都度またどこかで、 「やってみよう」の過程が必ずあって何かしらの結果

          離婚。なんで「×バツ」なの?見て聞いて僕はそうじゃないって思います

          モノの価値は外界より「自分にとっての希少(希なこと)で決まるな」って感じた経験

          僕は人生で、 「食べ物がもう明日には底を付く」 「住む家が無い」 「暖かいストーブやシャワーが使えない」 、、、と、こういうようなことは人生に何度かあって。 欲しくて欲しくて、飢えて仕方ない時に幸運にもそれを与えてくれた人が出てきた時、 「普通の何気ないご飯が、高級レストランに出るような舌も心も裕福になる美味しい食べ物」 「普通のアパートが、何処よりも良い場所に」 「普通の暖かいストーブやシャワーが、手練のプロからマッサージを受けたような、全ての疲れやしんどさから

          モノの価値は外界より「自分にとっての希少(希なこと)で決まるな」って感じた経験

          人の「深み」「色気」はパンに似てる

          年齢を重ねた人はパンで言う「熟成に熟成を重ねたパン」に似てる。 経験(苦楽)という「菌」で熟成していき、、、いずれ美味しいパンに完成していく。 例え見た目が華やかでなくても中身の美味しさの密度はハンパじゃない。 その熟成度合いは決して「見た目(立場や肩書)」「キャリアや年数(年齢)」「数の多さ」には比例してはなくて。 例えこれら(上の3つ)が無くても「密度の濃い美味しさ」を放ってる人もいる。 例えるなら、 「和服で肌を隠しても何か魅力的なものを内から放ってる女性」

          人の「深み」「色気」はパンに似てる

          自信は「自分に備わってるモノが自然と出る」と信じて疑わないこと

          普段のことが、音楽や仕事、人間関係から人生全体まで直接繋がることをよくわかったから、雪掻きや家事など身近なモノに取り組むんです。 人生は「本番1分前ですー」なんてことは無く、いつ力の出し所や出番が来るかわからなくて。 あらかじめ用意された譜面も無く、用意した譜面通りにはいかない「アドリブ」の場面がほとんど。 チャンスなんてモノも回転寿司のように来ては、すぐ通り過ぎ去る。 普段やってきたことしか出ない。 逆に、普段やってきたことは自然とちゃんと発揮される能力が人間にはあっ

          自信は「自分に備わってるモノが自然と出る」と信じて疑わないこと