『なにもない劇場』で演劇する。
もともとは綾門さんがやっている呆然戯曲賞に応募するために書いていた戯曲なのですが、間に合いませんでした。いやぁ、書く度に思いが更新されていくのだもの、しょうがないですね。とりあえず、一観客が演劇と劇場をどのように捉えているのかが伝われば良いなぁと思うのです。
概要
『なにもない劇場』とは2020年6月24日から30日の間、TAACが行った作品です。もともと予定していた公演がコロナ禍によって中止。「劇場」を問い直そうと駅前劇場に50脚のパイプ椅子をソーシャルディスタンスに従って並べた空間を作り上げました。その客席しかない、役者も台本も美術も音響もない劇場は、観客だけがいる空間でした。この文章の著者は実際に『なにもない劇場』に訪れ、パイプ椅子に座り、色々感じてきました。その時の行動と体験を当て書きされていた体の台本としてまとめれば、『なにもない劇場』は演劇として立ち上がるのではなかろうかという実験です。さて、どうなるのでしょうか?
舞台美術について
『なにもない劇場』の舞台は駅前劇場の中に椅子をソーシャルディスタンスに沿って格子状にパイプ椅子が並べられていました。舞台上には箱馬と照明が片づけられて並んでいました。なので、この作品を上演する場合も同様に黒いパイプ椅子を用意してください。それを一脚のみ舞台上に置くのもよし、ソーシャルディスタンスを守って並べるのも良し、コロナ禍以前のように並べてもよし。好きなように配置してください。
演出上のお願い。
著者が体験したことを元にしたモノローグとなっていますが、1人でやっても、複数人でやってもいいし、裏からマイクで読んでも良いし、はたまた事前に録音したものを流してもいいです。このモノローグが音声として空間に響くようにしてください。
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ここは劇場でした。毎日のように上演が行われ、多くの劇団がここで生まれ、育ち、巣立っていきました。でも今は上演は行われていません。かつて舞台だった所には箱馬と照明器具がきれいに並べられ、次の公演が始まるのを待っています。ただ次の公演が決まらないのです。そのため今はただの空間となっています。
ああやっとついたぁ。こんなに遠かったっけ。
この空間に到着した時、そう思ったことに驚きました。だって数ヶ月前までここには良く通っていたからです。電車に乗って1時間強。よくその長い時間を通っていたなぁと感じてしまいました。
感染症対策のため、政府は緊急事態宣言を発令。その結果、私は部屋で過ごすことになりました。社会人になってからというもの、こんなに家に居たことはありません。平日は職場に向かい、休日は劇場に向かい、祝日も劇場に向かうような生活をしていたのです。劇場に向かうことを長いなと感じてしまったことにびっくりしてしまったのです。3ヶ月ほどでこんなにも意識は変わってしまうのだなと思わされてしまいます。
これは客席でした。毎日のように劇場にやってきた多くの観客がこれに座り、楽しみ、帰っていきました。でも今は上演は行われていません。かつて客席だった所にはパイプ椅子がきれいに置かれ、次の公演が始まるのを待っています。ただ次の公演が決まらないのです。そのため今はただの椅子が置かれただけの空間になっています。
ああやっと座れたぁ。こんなに固かったっけ。
この椅子に着席した時、そう思ったことに驚きました。だって数ヶ月前までこれには良く座っていたからです。椅子に座って2時間弱。よくその長い時間を座っていたなぁと感じてしまいました。
私は部屋で過ごすようになったため、あまり動かなくなりました。そのため身体がとても固くなりました。社会人になってからというもの、通勤でだいたい1万歩ぐらい歩く生活をしていたのです。3ヶ月ほどでこんなにも身体は変わってしまうのだなと思わされてしまいます。
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でもこの椅子に座っていると、徐々に身体が馴染んでいきました。そして劇場に通っていた頃の感覚が徐々に戻ってきました。するとどうでしょう。色んなものが身体の中から溢れ出てくるではないですか。それらのものに集中しようと私は薄く目を閉じました。演劇が始まる前の暗転のように現実から虚構へと私の意識を変えていきました。すると、かつてこの劇場で観た舞台であったり、椅子に座り続ける感覚であったり、他の客席に座る観客の気配であったりをはっきりと感じたのです。見えるか見えないかの視界の狭間に今までて体験してきた演劇をはっきりと感じたのです。まさに今、私は劇場で演劇を体験しているのです。そう私は観客となったのです。
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ここは空間です。目の前で上演が行われていないのに私は観客になることができました。そのことにとても驚きました。私が観客であるためには劇場という空間も客席という椅子も舞台上で行われる上演すらも必要ではないことになってしまいます。目の前で行われている上演を受け取ることで私は観客になったわけではなく、私が観客になろうとするから観客になるということなのだなと思いました。そこで行われているものを演劇と認識しさえすればその人は観客になることができるわけです。例えば土手の河川敷で遊んでいる親子がいたとします。その人々がどのような人々でどのような生活をしているのかなどを想像しそこから思考を発展させることができれば、そこから演劇を見い出し、観客となることができるわけです。逆に言うと、例え実際の劇場で実際に上演されている演劇を観ていても受け取れず想像することができなければ観客になることができないわけです。そういえばシェークスピアの戯曲の中にも観客の想像力をお貸しくださいというものが確かありましたよね。すると劇場も演劇も見ている人々の想像力を引き出すツールでしかないものになってしまう。でもそれだけではないのだよなという引っかかりを感じるのです。上演とはなんだろう、劇場とはなんだろう、演劇とはなんだろうをもう少し引いたところから考えてみることにいたします。
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演劇を英訳するとシアターという言葉になります。そして劇場を英訳してもシアターという言葉になります。そもそも演劇も劇場も表す言葉は1つです。であるならこの2つを切り離さないで考えてみる方がよさそうな気がしてきました。
まずみる側の私はなぜ演劇を観たいのかを思い返してみます。色々と考えた結果、他者を感じたいからなんだろうということに思い至りました。その他者の想像力を目の当たりにする事で自分自身を知ろうとしているというか。そしてその他者の想像力を受け入れることで自分自身に変化を加えようとしているのだろうなとも思います。
次にやる側がなぜ演劇を上演したいのかを考えてみます。そこには自分自身が考えていることを他者に伝えたいという想いがあるのだろうなと想像します。そしてその想いを想像力を用いて作り上げた物語という形で感じ取って欲しいのだろうなと思います。その演劇をやる側とみる側が出会い、やる側の想像力が観る側の想像力を刺激された時、みる側はやる側と繋がったと意識します。そしてやる側はそのことに気がつきます。そうしてやる側とみる側のコミュニケーションとして演劇が成立することになります。この演劇をシアターという言葉で劇場と置き換えることも可能で、演劇が成立した場所は路上であろうと山奥であろうとオンラインであろうと劇場であると言えるのではないかと思うのです。
最後に実在する劇場とはなんなのかを考えてみます。やる側とみる側のコミュニケーションとして演劇が成立すればその場所は劇場となりますが、路上や山奥は日常空間です。その日常にハレである演劇を成立させるには色々な手続きが必要になります。また日常空間で行うので、やる側がやる場所をみる側が知らなければ、両者が出会うことが難しくなります。実在する劇場とは演劇を行って良いと約束された場所であり、やる側とみる側が出会いやすい場所であると言えるでしょう。みる側の私がその劇場に通う理由はそこで何か面白いことが起きているのではないかと思うからです。やる側がその劇場を使う理由はそこで何か面白いことをできるからと思うからです。約束された場所に行きさえすれば良いのです。さらにその劇場は想像力を発揮しやすくするため、専属のスタッフや音響や照明、厚い扉や壁といったもので日常と切り離されたハレの場所として設定されています。そのような空間だからこそ、やる側とみる側によるより深いコミュニケーションとしての演劇が生まれることになります。
つまり、みる側の想像力を刺激するやる側の想像力にその場所の力がブーストをかけるという関係が成立するように思います。
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でもその関係も感染症によって崩れ去ってしまいました。目に見えないウイルスが実在する劇場空間の中に入り込んでしまいました。さらにはその劇場空間を存続するため、やる側もみる側もウィルスというものに対処するためする必要が出てきました。その結果、ウィルスという日常と切り離せないためにハレの場と成立しない空間ということになりました。劇場という場所を成立させるため、やる側もみる側も劇場を成立させるために責任を負う必要が出てきました。もし感染症がその空間で発生すれば、その周囲にある日常から非難の声が上がるのです。今までのように無責任に劇場空間へ行くことができなくなったのです。
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そしてこの空間も劇場であることをやめました。私が観客になれたのも、ここがかつて劇場であったころの力が私の記憶を刺激した結果なのだろうなと思います。私だけでなく多くの観客だった人々が記憶している限りこの場所は劇場として心に残り続けるのであろうなと思うのです。
ここは劇場でした。毎日のように上演が行われ、多くの劇団がここで生まれ、育ち、巣立っていきました。でも今は上演は行われていません。今ではただの空間となりました。それでもいつの日か、毎日のように上演が行われ、多くの劇団がここで生まれ、育ち、巣立っていく時が再びやってくることでしょう。その時が訪れるまで観客である私は気長に待つことにしようと思います。