なかむらなおき

個人的に思ったことをただつらつらと書くページ。批評の練習場所であります。

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  • 批評

    劇評、映画評、書評などなど色んなものの批評文です

  • ファイナンスのお勉強

    金融関係のお勉強や投資の結果などを色々書いていくものです

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    思ったことを気軽に書いておこうかなぁと。

最近の記事

孤独な絶望、からの希望       –範宙遊泳『ディグ・ディグ・フレイミング!〜私はロボットではありません〜』劇評

おお、びっくり。今までと全然違うじゃないか。とても明るい。登場人物たちも自由な感じになっている。これまでは読書体験という印象が強かったのに、今回はそんなことを一切感じない。その変化に冒頭ではちょっとびっくりしたけれど、見終わった後には範宙遊泳だったなぁという感想となった。 範宙遊泳の『ディグ・ディグ・フレイミング!〜私はロボットではありません〜』を観てきたので、感想を書いてみようかなと思います。この作品は2022年6月25日から7月3日の計10回、東京芸術劇場のシアターイー

    • 壁のこちら側でガーガーと啼いているカナリアたち −カナリアーズ『ガガたち』劇評−

      うわぁ、何が起きているのか理解ができない。でも、何かが起こっている。scoolの空間に斜めにリノリウムが敷かれている。私はそのすぐそばに置かれた座布団の席に座っているのだけど、目の前で役者たちが右往左往しながら何かをしている。たまにはぶつかりそうになるので身体を逸らして避けたりもする。その時のことを残したいなと思うので、ここに記すことにする。 俳優の矢野昌幸が新たに立ち上げた『カナリアーズ』の第一回公演『ガガたち』は2022年6月23日から26日まで計6回、三鷹にあるSCO

      • 「わかろうとする努力」なのかなぁと。-ことばの学校 講師:豊崎由美-

        何度か豊崎社長をお見かけしたことがあります。まずは徳永京子さんの劇評教室にこっそりと参加されていた時、次は高山羽根子さんのトークショーを開かれた時。そして3度目はことばの学校の講師としてお見かけすることになりました。さて、どんな方なのだろう。 講義が始まると、豊崎社長はポツポツと色んなことを語り出しました。まずは本との出会い方、次に書評と批評の違いや目的について、そして書評におけるあらすじについてなどなど。豊崎社長が歩んできた道から本を読むということは何かが伝わってきました

        • 「ことばの学校」を受講するに際して、その1

          2021年の7月28日から映画美学校で「ことばの学校」が開講されます。佐々木敦さんが学長のこの学校は批評だけでなく「ことば」というものについて考えていくという。詳細は下記のURLを参照してください。 http://eigabigakkou.com/course/language/outline/ 批評家を名乗っていた佐々木さんが思考家を名乗るようになったことで「ことばの学校」は今までの「批評家養成ギブス」や「批評再生塾」とも違う学校になるのではと思うのです。 批評とはあ

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          いつもと違う春の日々

          コロナウィルスが広まるにつれ、世の中は徐々に変わっていきました。私もその影響を受けていて、仕事はテレワークとなりました。なので家にいることが多くなり、出掛けることも減りました。今までは仕事帰りにいろんなところに寄っていたのに、休日も色んなところに出掛けていたのに。変わってしまった生活は2021年4月の今も続いています。 どこかで桜を見たいなぁ 例年だと都内に出掛けたついでに桜を見てくるのですが今年はそれができません。なので、市内を散策して桜を見つけることにいたしました。

          いつもと違う春の日々

          元々は研究用のものだったのです。

          1993年のころ、私は大学生でパソコンのサークルに入っていました。何も分からなかったので、色々教えてもらえると思ったからです。先輩に連れられてPC9801のノートPCを買い、色んなジョークソフトを入れてみたり、電話回線で繋いだ草の根のパソコン通信に入り込んで会ったことのない人々と交流したり。そんな日々を過ごしていました。 ある日、先輩がワークステーションの端末を触っていました。その端末はとても高価なのでなかなか触ってはいけない端末でした。それがどんなものか知りたかった私は先

          元々は研究用のものだったのです。

          孤独の濃度-FUKAIPRODUCE羽衣『おねしょのように』評-

           このコロナ禍で生活は一変しました。仕事も通勤せずにテレワークになりました。定期もないので都心に出る機会も減りました。その結果、外での食事する機会も、観劇する機会も減っていきました。そして私のいる部屋そのものが世界の全てとなり、外との隔絶がより強固なものとなり、他者との距離が遠いものから断絶されたものに変わったように感じるのです。それは外の世界を意識できないがために私の身の置き所が定まらないとても恐ろしいものに感じるのです。その意識できる部屋だけの世界でどこまでも意識だけが広

          孤独の濃度-FUKAIPRODUCE羽衣『おねしょのように』評-

          にんげんとどうぶつというものについて考える-齊藤コン『はる、むしむし』-

           日曜日の朝にどうぶつ体操というものインスタライブで配信している齊藤コンさんは行っています。色んな動物の動きを人間の身体で再現していくことで、私たちの人間の身体の中にある動物を感じることができるなかなか楽しいものです。彼女はAnimalFlowのインストラクターでもあります。私がそのクラスに参加した時に四つん這いでの歩き方をやってもらったのですが、元々人間は4足歩行なのではないかという自然さの動きを見せてくれました。そのようなコンさんが作品を発表するというので、キラリ☆ふじみ

          にんげんとどうぶつというものについて考える-齊藤コン『はる、むしむし』-

          町に作る虚構の門 -町の外と内を繋ぐ可能性-

           豊島区で行われている演劇祭『FESTIVAL/TOKYO』(後、F/T)。この演劇祭では今までに色んな演目が行われていますが、この文章ではセノ派が行った2019年の『移動祝祭商店街』の第1部みちゆきの大塚エリアと2020年の『移動祝祭商店街 まぼろし編』の『みんなの総意としての祝祭とは』、Hand Saw Pressが行った2019年の『ひらけ!ガリ版印刷発信基地』と2020年の『とびだせ!ガリ版印刷発信基地』について、つまりは大塚の商店街で行われていたことを論じてみようか

          町に作る虚構の門 -町の外と内を繋ぐ可能性-

          あけましておめでとうございます。 今年は文章を書くことをもう少し頑張ってみようかなぁと思います。

          あけましておめでとうございます。 今年は文章を書くことをもう少し頑張ってみようかなぁと思います。

          よぉ、パンダ。-パンダ批評最終章-

          批評家養成ギブスの第3期のさわやかさんの講義は批評とはなにかというものでした。その時に、批評とは自分が表現だと思うものを読者に説得する行為だみたいなことを話した後に、パンダも表現として説得できるかもねと続けました。それに対して私は、パンダを表現とする事もできるのかと感動したのです。それからパンダを表現だとする挑戦を色々繰り広げました。批評の同人誌のヱクリヲにパンダについてを書きました。それを基にして批評再生塾用に書いた以下のもの。(読み直すと全然ダメだなぁと言う気にはさせられ

          よぉ、パンダ。-パンダ批評最終章-

          第1回呆然戯曲賞自由の短評

          第1回呆然戯曲賞の自由課題の方も読んでみましたので、短評を書いてみました。短評にネタバレはありますよ。 戯曲の完成度で一つ選ぶのであれば『信仰、未知と差違のデマゴーグ』になるかなぁと。上演で観てみたいで一つ選ぶと『荒野にて:文明が滅んでも滅ばなくても、退屈はあるし、やることはない』になります。なにを基準にするかで選ぶ作品が変わってくるのも面白いなぁ。 留守番 なかなか面白いですね。成美と友介の別の時間軸の人々が複層的に出会っているという設定で成美とママのように重ならない

          第1回呆然戯曲賞自由の短評

          第1回呆然戯曲賞お題の短評

          せっかく呆然戯曲賞のために戯曲を書いたので、他の戯曲も読んでみました。そしてせっかくだから短評も書いてみようかなと。こちらはお題の短評になります。 一本を選ぶのであれば、『旅行者たち』になります。 旅行者たち 不思議な世界でありますね。想像してしまうがために自分が想像しないということに拘るという。その想像とはなくなっていった人々であり、その人々の記憶があるからこそ遠くに行けない。あと、ラストに枕が出てきてカメラになるので、これは夢の話でも良いのかなと思うのであります。夢

          第1回呆然戯曲賞お題の短評

          『なにもない劇場』で演劇する。

          もともとは綾門さんがやっている呆然戯曲賞に応募するために書いていた戯曲なのですが、間に合いませんでした。いやぁ、書く度に思いが更新されていくのだもの、しょうがないですね。とりあえず、一観客が演劇と劇場をどのように捉えているのかが伝われば良いなぁと思うのです。 概要 『なにもない劇場』とは2020年6月24日から30日の間、TAACが行った作品です。もともと予定していた公演がコロナ禍によって中止。「劇場」を問い直そうと駅前劇場に50脚のパイプ椅子をソーシャルディスタンスに従っ

          『なにもない劇場』で演劇する。

          SpatialChat(スペチャ)の可能性

          SpatialChat(スペチャ)なるツールがあり、それを使った実験をする書き込みを見つけました。 これは面白そうだと思い参加してみました。その時の感想を書こうかなと思います。 時間になるとURLが送られてきて、そのURLをクリックすることで会場に入りました。特にIDやパスワードの設定は必要ありません。URLを共有すれば誰でも入れるようです。 その会場には、主催者がYouTubeの動画を貼り付けた場所が3カ所あり、その周囲には10個ほどのアイコンが存在していました。それ

          SpatialChat(スペチャ)の可能性

          視覚と聴覚の距離感の違いについて

          今まで見向きもしなかったオンラインミーティングツール。でもコロナ禍でZoom、Whereby、Google Meetを使うことになりました。その中でZoomとWherebyを音声のみで実際に使った時、なかなか面白いことを思いましたので、そのことについて考えてみようかと思います。 Zoomを使用して雑談をしようという呼びかけで参加したオンラインミーティングには演劇関係、音楽関係、芸術関係の人などが10人ほど参加しておりました。画面の表示をフルスクリーンに設定したので、話してい

          視覚と聴覚の距離感の違いについて