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陸上、マラソンをやることになった経緯

初めに、マラソンをたまにやっているのでそれに関連する記事をこれから投稿しようと考えておりますが、その前に私が陸上やマラソンをやる経緯までをお話したいと思います。

まず学生の頃は運動部に入っており、サッカーは親父に特訓させられたものの、技術がだめなのと個人的にやらされすぎて嫌いになり、小6に吹奏楽を一年だけ始めると同時にあまりやらなくなりました。

中学はテニス部に入部。陸上部はつまらないのと強い人が多いという理由で仮入部一度でやめて、母がテニスをやっていたということでテニス部を選択しましたが、長距離走練習を主に冬にやらされていました。しかし、そこで部で先輩も含めダントツに長距離走が速いことと短距離走も3番目くらいに速く、「高校は陸上で勝負してみるか」となるわけです。特別テニスが上手いわけでもなかったので。

当然走り込み練習は嫌いでした。練習試合で負けたら差分外周とか…。アップのダッシュも手を抜かずにやったのにいつまでたっても元から速い俊足くんに勝てなかったり…。

高校で陸上部に入るわけですが、正式入部は高1の5月途中。それまでラグビー部によく行ってました。うちのラグビー部は仮入部の内容は全部活の中では最も充実しており(主に基本動作と投げ方を教わる、タックルの見学、タグラグビーが主な内容)、表では応援されていた部活だったものの、相当裏の噂が絶えず、怪我でもやれで悪化して不登校や他の運動部に逃げた人もおり、実際に被害者本人や親、友達の話を聞いて他の仮入部仲間と逃げて陸上に入ったという経緯です。ラグビー部からは走力で興味をもたれましたが、結局逃げました(笑)陸上にも逃げてきた人がいましたが、いじめや風当たりで最終的に退学した人もいました。陸上はそういうことはなく、個人も集団も両立させるのが目標の部活でした。

陸上の試合は強い人ばかりで、高1の頃に一気に自信を失いました。徒競走学年一、ニ番の先輩が活躍できていなかったり、運動会やテニス部という狭い環境で速いと言われて自信満々だったのが、陸上の大会でどん底に陥れられたわけです。予選ですら下の方でしたので驚いてしまいましたね。

部活は続けられました。短距離の練習もし、長距離の練習もし、特別強くない学校のおかげなのか駅伝のメンバーにも選出されてました。主に中距離走を専門にやっていました。(400mはトラックでも最も嫌いな競技だった。)親たちからの支持率も高い部活でしたので、駅伝になると親がたくさん応援に来てくれたりと環境は良くなくても入って良かったと思える部活でした。ただ、怪我は一年に一度はしており、怪我中に大事な試合を迎えその時だけ走ってということもありました。

スポーツを離れた後はフルマラソンをどのくらい辛いのかという実験がてらで走りましたが、その後また走らなくなりました。けどしばらくして、運動不足防止で軽めに走ること等はしていました。

ある時久しく出てみるかとトラック大会の1500mに出まして、よく走ってた高校の頃よりも良いタイムをだしたことで負担になるまで陸上は本気でやる。もし、やめたら記録は気にせず楽しんでやるというのを前提にして3年半ぶりくらいに陸上を再開しました。100mでも高校よりやや速いタイムを出したのを覚えてます。

3年位ガチは続きましたが、記録が全く伸びなくなって気力を失うと同時に利き足の怪我で結局やめてしまいました。ちなみにガチの頃は夏はトラック出場、マラソンは主に冬〜春辺りにハーフやたまに10km以下に出ておりました。目的としてトラックで記録更新、スピードの度合いを省みる、マラソンでは記録更新し楽しむ。

しかし、マラソン(ハーフ中心)はこれからもたまに運動をしたいので興味のあるレースに積極的に出場し、今ではレースはさっさと走って終わるというのが僕の毎度の目標です。出すぎると燃え尽きるのでよく考えてレース選び等はするようにしています。

辛い練習で我ながらに気づいたわずかな才能のおかげでマラソンをすることができました。そして、辞めたあとも自分なりの楽しみ方も生み出せました。

ラグビーをやめたときは、もちろんもう少しやってみたかったという感情はありました。ただ、陸上を蹴っても同じ感情を確実に抱いてたと思います。

顧問の不満を同級生と言ったり、いつまで走らせんだよという感情になったことも多かったですが、そのおかげで力がついたのは言うまでもありません。

人によっては陸上をやってたのか疑うくらいのタイムで、大したこともない栄光話みたいな投稿になりましたが、終着点は好きだったか誇りに思うか。

それに過ぎないと思います。

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