一人ひとりの声のエネルギーがつよい 主張や意見、表現の濃さや強さ、そして数が増えたきがする。 今まで閉ざしていた人も発し始めたのかな。 イイコトかもしれない。 でもそれによって、色んなことや人への配慮が 薄れていっているきがする。 自分の声を発したいために 誰かや何かを知らずして傷つけていることも。 いまはメッセージや想いを受けとる余裕がないんだなあと思ったりして自分のこの悲しさや痛みを抑えている感じ。 目の前にいる人も、いない人の声も あらゆる声が聞こえすぎて
今はこれでいい。すべてをするのはゆっくり時間をかけて。乱さないように、流れに合わせ、ペースを見て、自分で気付く感じで。
浮き過ぎず、地に足つき過ぎずに。 たまーに浮いて、たまーに足ついて。
暮らしの中で見え隠れするその人の魂の声。
豊かもち。やさしい革命。地蔵菩薩。
目的地が決まってるヒッチハイクはもうしないでおこうかな。高速はあんまりノらない。
今度、実家に帰ったらおばあとおかんに縫い物を。おじいには習字を教えてもらおう。うんそれがいい。
何したいの? これから何していきたいの? どうやって生計立てるの? . この質問と5万回くらい向き合いました。 いろいろと思うことはあるけれど 僕は今のところ、こうだと思う。 . 生活することをする。 もしくは ゆっくり暮らします。 . 何者かになるのもいいでしょう。 何かを学ぶのもいいでしょう。 でもそれをあえて口にしなくてもいいのかもなあと。 ちゃんとイチからおはなしすれば 相手にも伝わるんじゃないかなあ。 無理して僕は何者だよって伝えなくても
地位や権力、肩書やお金をもつ決断をあえてして、今のこの世のルールに合わせて、この世界をよくしようとしてる人がたくさんいる。盲目的に地位・権力をこわがってたけど、もうそんなんもないね。世の中から外れた生き方をするんではなく。かっこいい。心からすごいって思う。おれもそっち見てみるわ。
さらさらその気はないのだけれど 敢えて言語化。あとづけで 気づいたこと一点 ヴィパッサナー瞑想 非暴力コミュニケーション パーマカルチャー ヨガ 祈ること 愛でること 観察すること 受け入れること 感じること 認めること とかとか 一年半前からしぜんに大切にしだしたことや 出会った人生のサポートアイテムたちは ぜんぶ 素直さ、純粋さ の心をはぐくむためにしてきたことなんだなあと。 凍った心がずーっと溶けていってる。 この世界に来てほんとによかった
車があったら皆んなに会いに行ける! こころ的にも楽で余裕ができる。 やった〜
大したことない 仕事やめることも移住することも 結婚することも。 ぜんぶなにもかも大したことない。
やっかいなものだ。 きづかないうちに付けてしまう。 すべては魅力がつまった個性のかたまりだというのに これを付けると「自分の都合」がいちばんに優先される。 都合が悪いものは悪とされ 良いものは良とされる。 すてきな部分もたくさんあるのに メガネをかけるとそこはなにも見えなくなる。 外すには自分で気づく他ない。 もしメガネの存在を誰かに注意されても 自分はつけていないと主張することだろう。 その眼鏡をつけている人が誰かにそれを伝える。 そしてまた別の眼鏡を介し
対話をして決めることお金、結婚、好き、人、ご飯、愛、セックス ひとつひとつ世の中的な概念ではなく お互いのきもちを出しあい 相談し きもちのいいところを探す それをそのふたりの概念 決まりとして いっしょに育んで経過を見届けていく。 生きるを実験しよう。 関係性の責任はそれぞれ2人なら、ひとり50%ずつ 5人なら、ひとり20%ずつ 自分がその人との関係性を良くしようと思っても マックスできるのは自分の取り分だけ。 受けとるか受けとらないかはその人のじゆう。 い
語りたいときはnoteでしようかな。
いまもむかしも 皆んながぼくに手を貸してくれる。 当時はきづかなかったけれど 今とてもその愛を時間差で感じたりもしてる。 ・ 親 生まれてきてすぐ気管支炎で死にかけてたらしく必死でいろいろしてくれた。 幼少期から日本中連れて行ってもらった。 美味しいものを高級なものを食べさせてくれた。 中学は歯が少なくて歯並びが悪いからって矯正に行かせてくれた。 ご飯中、一つ余ったものは僕か兄に譲ってくれた。 お菓子を選ぶのも僕から選ばさせてくれた。 塾にも予備校にも