『茜色に焼かれる』:紹介文
シングルマザー、風俗嬢、いじめに遭う息子など、コロナ禍が浮き彫りにした「なめられる側にいる人たち」の物語。映画は「田中良子は芝居が得意だ」という一文で始まる。経済的に追い詰められた良子はスーパーのパートのほか、風俗店でも働くのだが、そんな状況を「まあ頑張りましょう」の一言で流しながら生きる。つまり良子はずっと芝居しながら生きている。ある日風俗業仲間のケイがそこに切り込み、良子は初めて本心をさらす。そこから二人は深くつながるようになる。息子の純平はそんなケイに恋をする。
困難な状況にようやく光が差し始めた頃、良子は裏切られ、深く傷つく。ここで良子は「芝居」をかなぐり捨て、本性とともに立ち向かう。その場に息子の純平のほか、ケイと風俗店の店長も駆けつけ、良子の側に立つ。そこに我々は少しだけ救われる。面白いのは、本作では必ずしも「芝居」が虚で「本心」が真なのではないという点だ。すべてが終わった後、良子はもう一度「芝居」を見せるのだが、そこには芝居でしか言えない本心が含まれる。そしてその本心は、真面目ゆえのおかしみと、なんだこれ?としか言いようのない滑稽さとともに語られる。
この映画の魅力は、なめられる側にいる人が保険として守る「ルール」が逆にその人たちを裏切ったり、ルールを破ることでかえって幸せを得られたり、虚であるはずの「芝居」が「本心」以上のものを語ったり、真面目がおかしかったり、いろんなことが二面性を見せながら絡み合っていく点だ。確かに生きていく上で、すべてが白黒はっきりしたまま進むわけではない。そして、そんな混沌とした理不尽な世の中を、良子は息子への愛だけで突っ切ってみせる。その強さに圧倒される。
石井裕也監督は脚本を書いたあと、主役に「尾野真千子さんを獲ってきてください」と言ったそうだ。それも然り。複雑な主人公が、尾野さんの演技によって見事に矛盾のない人間に組み上げられた。尾野さんは本作でキネマ旬報賞をはじめとする数々の主演女優賞を獲得している。