丸刈りをやめて部員が増えた!
栃木県の古豪、小山西高校野球部が丸刈りをやめたところ、部員数が増えたそうだ。(https://www.asahi.com/articles/ASN824WW7N81UUHB008.html)さらには「髪型が自由になり、日頃の行動を意識するようになった」という選手の言葉も紹介されている。なんだか頼もしい。いつまでもいつまでも、「高校生らしく」という名の呪縛、意味のない精神論を振りかざすのはやめたらどうか、と思う。
これと関連していなさそうだけれどやっぱりしているだろう、というのが、先日読んだ『Number』の記事である。自粛による練習時間の減少により、選手の体が大きくなった、球速が上がった、という報告があるそうだ。(https://number.bunshun.jp/articles/-/844393)野球の障害は使いすぎによるものが圧倒的に多いので、適度に休息をとりつつ的確なトレーニングを積むことで、いらぬ怪我を回避し、効率よく体を鍛えることができたのだと思う。実はトレーニングというのは身体を動かさなくともある程度は可能で、怪我をして練習ができない間、頭の中でイメージを作っていたら、ほとんど技術の衰えはなかった、というのを何かの本で読んだことがある。また、今場所で元大関の栃ノ心が10勝を上げたのも、ひと場所抜けたために膝を休めることができたからでは、という気がする。
規律で縛らなければだらしのない人間になる、とか、厳しい練習を積んだからあの日々は宝物、とか、そういう古くさいこだわりが私は一番嫌いだ。校則なら、各自が責任を持ってある程度自由を確保すればよいし、部活なら、無駄に身体を傷めることなく、的確な練習で最大限の効果を生む方法を確立すればよいし、勉強なら、ノートを何ページ埋めてこいだの、漢字を何回書けだの、そういう拷問のような方法は捨て、「内容の理解」に焦点を当てた指導がなされればいいと思う。
だいぶ古い記事になるが、2018年11月26日付の朝日新聞に、灘中・灘高で教頭を務める大森秀治さんの談話が紹介されていた。そこで印象的だったのが、次の言葉である。(https://digital.asahi.com/articles/DA3S13785146.html?_requesturl=articles%2FDA3S13785146.html&pn=4)
思考力を育てるのに必要なのは、先回りせず自由にすること。何がやりたいのか。どう考えているのかを聞いてやる。失敗を叱らず、喜ぶ。大人が思い通りの答えや結果にならないと叱るから、子どもが自分で考えなくなる。
なんでもやらせてみて考えさせる。先回りした正解の詰め込みが子どもを一番ダメにする。
素晴らしいな、と思った。実は私は「親が用意した答えや結果にならないと叱られる」という経験をしたことがない。HSP気質に関してはまるで理解しなかった母ではあるが、ここだけはラッキーだった。コロナ禍で、オンライン教育の新たな可能性をはじめ、今までの教育のうまく行っていなかったことも浮き彫りにされたことだし、これからみんなが自主自律で楽しく可能性を伸ばしていけたらいいなと思わずにはいられない。
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