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高橋尚子さんが116キロを走る
「24時間テレビ」で高橋尚子さんが116キロを走った、という記事を読んだ(力走は見ていない)。5キロごとに10万円寄付するということらしく、高橋さんが走るごとにスポンサーが寄付する、というのならわかるけれど、走って疲れるわ、寄付もするわ、ではなかなか大変だ、と思いつつ、でも「できることをして困った人を助ける」というのは素晴らしいと思うし、高橋さんは「偽善と言われるけれど云々」と語ったそうだけれど、そんなもの、偽善という方がおかしいのだから放っておけばよい、と思う。
私が驚いたのは、116キロという距離である。村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』には、100キロを走るウルトラ・マラソンのことが書かれている。ギリシャ軍の伝達兵士でさえ42.195キロで命を落としたというのに、100キロも走るって何者よ、と驚愕するばかりだ(尤も、春樹さんは『遠い太鼓』の中で、あの兵士は前の日にも100キロ近く走り、伝達の前に戦果を聞くべく同じ道を走って、つまりは往復していた、というようなことを書いていたと思う)。それはともかく、春樹さんのウルトラ・マラソンの体験記はとにかく苛烈である。42.195キロを超えて未知の領域に踏み出し、軽食を取り、靴を履き替え(ここでニューバランスのウルトラ・マラソン専用シューズがあることが記される。驚くばかりだ)さらに走り続ける。55キロから足が動かなくなり、腕を大きく振ってノロノロと足を運ぶ。春樹さんはここの体験を「緩めの肉挽き機をくぐり抜けている牛肉のような気分」と書いていて、読むだけで「絶対にしたくない」と思わされる。ところが、75キロをすぎたあたりで春樹さんは「抜ける」体験をする。それ以降は身体が「自動操縦のような状態に没入してしまった」そうで、これ以降200人くらいの人を追い抜き、めでたくゴールを果たす。
こういう凄まじい文章を読んでいたので、高橋尚子さんが116キロを走ったということにはびっくりした。人間が100キロを超えてまだ軽々と走れるとは!と度肝を抜かれたのである(ついでに、靴はウルトラ・マラソン専用シューズだったのか、今話題の厚底だったのかも知りたい)。ただし、高橋さんは今でも毎日20キロずつ走っているらしい。ということは普段の6倍弱、私は一日に一度はツイートをすることにしていて、140字書くことは何ともない。その6倍で820字、と考えると、今毎日書いているnoteよりもやや少ない。だったら高橋さんにとってはそれほど死ぬ思いをせずともできることかもしれない、とちらりと考えもしたのだった。