「ひとモノガタリ 鬼が教える最後のおせち」を見て
今日の夕方、NHKで放送されていた番組を見た。三重県の高校の調理部(部活動である)で生徒たちを指導する先生のお話である。この部では最後の活動としておせち料理を作る。30品800食を、部員全員が一丸となって作り上げるのだ。部活動のクライマックスである。
この先生は、1年生が包丁をスポンジで洗っているのを見つけて「そこ!スポンジつこうてるないか!」と怒鳴る。そして「3年生の指導が足りん!」と怒鳴る。さらに「指導したの誰や!」と怒鳴り、名乗り出るとまたその子を叱る。さらに翌日、同じ3年生の別のミスを見つけ、怒鳴る。その時にその子が先生の顔を見て黙っていたことに怒鳴り、担当から外す。(ナレーションは、怒鳴ることに対して「〇〇さんは落胆の色が隠せませんでした」というのだが、ちょっとこれは語りによる美化ではないか、という気がした。)外した理由について、取材班に「こっちが言っていることに対してボーッとして他人事やったから」と言う。「そこで一言『すみませんでした』と言えばいいのに、なぜそれが言えない」と続ける。(エピソード1)
先生がそういう姿勢をとるようになったのには、ある理由があった。顧問に着任するや、調理部はメキメキと実力をつけ、全国一位になり、入部者も増えた。そんなある日、料亭に就職した卒業生が、職場から姿を消した。壁をボコボコにしていたという。その料亭の長は先生の先輩で、その人から「料理だけ教えとったんやな」と言われて先生は大ショックを受けたそうだ。以来、人としてもきちんと育てなくては、と口やかましく言うようになったとのことである。(エピソード2)
担当を外された子は、変わらず下級生の指導を続けていた。本来、指導は担当外のことだが、先生はそのことは叱らなかった。
次に紹介されたのは、誰よりも早く現場にくる男の子である。この子はなんでも一人でしてしまう。理由を取材班から尋ねられて、「叱られるのが好きじゃない。人に任せてその人ができておらず、叱られる、というのが嫌だ」と答えていた。先生はこの「任せることができない」性格に懸念を持っており、その不安が製作過程で的中する。大量のゴマを一人で炒ったために一部を焦がしてしまい、その子はそれを一つ一つ取り除けることになったのだった。(エピソード3)
色々あったものの、最後にはおせち料理は見事に完成した。そして3年生の挨拶があり、部長が「叱られたり褒められたり、感情を揺すぶられた三年間でした」と言って泣く。先生も泣く。感動のシーンである。(エピソード4)
と、こんな感じでこの番組は40分続いたのだが、私には見ていてゾッとすることばかりだった。それを次に述べていく。
エピソード1:
怒鳴られたあと謝らないと、担当から外すという「罰」を与える。したことそのものよりも、そのあとの「態度」によって対応を変える、というのが恐ろしい。一週間ばかり前、消しゴムを忘れた子を3時間立たせた小学校教師が問題になっていた。その子が自分の口から「次からは忘れません」というのを待っていたと言う(意味がわからない)。したことは「消しゴムを忘れた」ということだけなのに、「次からは忘れません」と言わなかったことだけで3時間立たされる。教員側が答えを持っていて、それに合った対応を取らないと罰せられるのだ。恐怖政治だが、この先生のしていることもそれと同じだ。
エピソード2:
突然姿を消したその卒業生は、なぜ職場に来なかったのだろう。なぜ壁をボコボコにしていたのだろう。人を育てていないと言われて自分のこと、と受け止める前に、卒業生の話を聞いたらどうなのか。そもそも卒業生が、自分に一言の相談もなく辞めたとしたら、それはその子との間に信頼関係ができていなかったからだとは思うが、壁をボコボコにする、というのは元々の職場に問題があったのではないか。そこから一足飛びに「料理だけ教えていてはだめだ!人としての教育もしなくては」と思うのはちょっと極端な気がする。そして、その「人としての教育」が「やたら怒鳴ること」というのも厄介だ。部活動なのだから、料理を静かにきちんと教えればそれで十分ではなかろうか。
エピソード3:
人に任せられないことの理由が、「人に任せて自分が怒られるのが嫌だから」というものである以上、人のミスを責任者のせいにするのが悪いのである。過度な連帯責任が、その子を萎縮させていると言える。ミスをした本人だけをきちんと叱っていれば、叱られるのが嫌という理由で何でもかんでも背負い込む、というようなことは起こらない。
エピソード4:
なぜ調理部の活動で感情を揺さぶられなくてはならないのか。そもそも感情で人を操作するのは、DVやパワハラの手口と同じである。叱ってビビらせた後に優しく褒めたりして「本当はお前のためを思って言っているんや」などと思わせるのだが、本当に人のためを思って言っているのなら怒鳴らなくてもいい。感情を揺さぶる前に、普通に技術を教えろ、と言いたい。
というわけで、私にはこの番組はただのハラスメント番組にしか見えなかった。この先生は多分「自分は立派なことを成し遂げた」と信じて人生を終わるのだろうし、生徒の中には「いろいろ怒鳴られたけど楽しかったなあ」と思う人もいるのだろう。でも私は怒鳴られて何かを身につけて、怒鳴った人に感謝した、という経験がない。(怒鳴らずに普通に的確なアドバイスをしてくれ、と思うだけだ。)一緒に見ていた娘も息子も「うちの顧問みたい」、「逃げた本人に話聞いたらいいやん」、「なんで連帯責任にするねん」などとブツブツ言っており、私としては「いいぞいいぞもっと言え」という気持ちだった。ただ、こういう「成長のためには怒鳴られてもやむなし」ということが社会の主流だとすると、うまくすり抜けないと大変だろうな、とも思う。
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