「例の漫画」

 TwitterのTLで漫画の話が流れてきて、どうやら炎上しているらしく、何だろう、と思っていたら「例の漫画」というのがトレンド入りしていて、これのことか?とクリックして見た。すると「例の漫画」に関するコメントは山ほど見られたのだが、肝心の漫画になかなか到達できない。さながら「足長おじさん」の正体って何よ?あるいは「ウイリアム大おじさま」って誰よ?(←『キャンディキャンディ』)、はたまた、「黒頭巾」って何者よ?(←『怪傑黒頭巾』)、みたいな感じだったけれど、ようやく読めた。(と言いつつ、誰もそのアカウントを明示しないので、ここにも貼らずにおく。)

 あらすじを紹介しておくと、二人でゲームを作っているところに「絵の描ける人を入れよう」と一人が連れてきたのが、芸大油絵科のバリバリ才能の塊で、キャラクターのデザインを頼むのだけれど、その依頼主はお気に召さず「全然ダメ!」と言う。「もう少し具体的に言ってくれないとイメージがわきません」という芸大アルバイトさんに対し、「そんなものがわかれば自分で描いています」、「自分では到達できないところに到達するために、人に頼むのです」というようなことを言い放つ。芸大生は本気を出してデザインを仕上げ、その完成度の高さたるや素晴らしく、依頼主は追加の仕事も頼む、というストーリーである。

 これの何が炎上するねん、と思った人も結構いたようなのだが、私にはこれは不快だった。理由は、具体的なことを告げずに「私の望んでいるもの、できれば望んでいる以上のものを生み出してちょうだい!」と言っているからである。アルバイトでキャラデザインを頼んだのなら、だいたいのイメージを伝えて描いてもらうのが当然だろう。ゼロから生み出すところまでアルバイトにさせてはいけない。また、気に入らなかったのなら「何がどう」気に入らなかったのかをきちんと言葉にして説明しなくてはならない。それをしないなら、学術会議会員一部任命拒否と同じである。

 とにかく私は「俺をうならせてみろ!」とか「私を感心させてごらん!」というような、その人のツボまでこちらに探らせ、押させるような傲慢な人間が嫌いだ。指示は具体的に、不足があれば言葉を尽くして説明するのが礼節というものだと思う。

 それとは全く別の話になるのだが、かつて、こちらの言っていることが全く通じない若者がいた。「Aにしてください」と言っているのに「B」にしてくる。「いや、これはBなので、Aにしてください」と言ったら、「私はちゃんとAを作ったつもりなのに、もうAが何なのかわかりません!」と切れる。もちろんこちらは、Aが何なのかも十分に説明している。こういうことを言うと「アンタが十分と思っていようが、伝わっていなかったら不十分や!」という人は必ずいるだろうが、この件に関してはそれはない。なぜなら、同じ指示をした他の数名は、全員きちんと「A」を仕上げてきたからだ。

 こういうケースは初めてだったので、非常に困ったのだが、何度言ってもわからなかったので、結局私が「Aの例」を作った。そうしたら「私のためにありがとうございます!使わせてもらいます!」と言ってきて、本当に使った(それはただの盗作なのだが、いろいろ期限というものがあるので、そちらを優先したのだった)。その人はもう他所に移っていったのだが、正直なところ、もう二度と顔を見たくない。

 と、過去の暗いことまで思い出してしまったのだけれど、とにかく人に何かをしてほしければ、必要な指示はきちんと出すべきで、それもせず「ここまで登ってこい!」というのはピントのずれた昭和の根性ものに等しいと私は思う、というのが今日の結論である。

 


  


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