どうせ歩くなら東海道 05 【水口~土山 1】
東海道を(ちょっとづつ)57歳女が歩いた記録です。
再び水口宿へやってきました。
JR草津線貴生川駅から、甲賀コミュニティバスに乗り、
前回のゴール「鵜飼本陣跡」をめざします。
駅前のバスの案内図を確認。
しかし!
路線が多く、運行時間も複雑で、どれに乗ったらよいのかわからない。
かわいいい忍者のイラストに癒されながら、パニクってます。
とりあえず、水口方面へ行くバスに乗り、東海道っぽい場所で降りてみた。
そこは中央公民館前というバス停だったのですが、
本陣より2キロ近くも手前。うへえ。
結局、前回と同じ道を歩き直すハメに。
日帰り東海道は時間との勝負だというのに何やってんだか。
ロスした時間を取り返すべくひたすら歩いていると
どこからかお囃子のような曲が聞こえてきます。
立ち止まると、ここは三筋町。
そう、例の紡錘形の西の端、からくり人形がある場所。
ちょうど動き出したところに運良く遭遇したみたい。
バスでは失敗したけど、結果オーライということで。
ようやくスタート。
ここから土山宿まで、約10キロの旅のはじまり。
東見附を出ると、のどかな風景が広がります。
旧道から、国道459号線に出ると、野洲川が久々に姿を表しました。
川の反対側には、岩山と呼ばれる小さな山が迫っていて、
国道549号線と東海道はここを巻くように通っています。
かつては、巨岩や奇岩が多い景勝地として知られていた場所で、
岩は神として祀られていました。
それにしても、よいのか、それで。
で、またすぐに旧道へ。
左に進むと、今郷(いまごう)の集落。
再び、549号線と合流(2回目)して、
またもや旧道を左へ入る。
東海道を歩いていて驚かされるのは、
こういうお地蔵さんが本当に多いこと。
どこのお地蔵さんも、地元の方に大切に守られています。
江戸まで、448キロ。
茶畑が増えてきました。
再び国道549号線に出てきました。(3回目)
ついに、土山町に突入。
この先の大野西交差点を北へわたって、左の旧道へ。
間の宿、大野に到着。
「間の宿(あいのしゅく)」とは、
自然発生的にできた ”ミニ宿場” のようなもので、
茶店や立場(たてば:休憩のための施設)が並び、
さらには旅籠まであったそう。
ほんとはダメだったんだけどね。
またまた、国道459号線と合流。(4回目)
旧道に入って、国道に出て、また旧道に入って、国道に出て・・
この繰り返し。
歩道橋をわたり、そのまま旧道を進んで、大野村の中心部へ。
道の両側には、昔の店の跡を示す石碑がずらりと並んでおり
間の宿といいながら、かなり繁栄していた模様。
明治天皇の行幸記念碑まであるし。
明治天皇は幕末から明治にかけて、東海道を何度か往復されました。
その際は本陣で宿泊や休憩をされたため、
宿場の本陣跡と明治天皇聖蹟碑は、
どこでもたいていセットになっています。
いくら地元の実力者と言ったって、本陣の主も所詮は庶民。
その庶民の家にナマの天皇がいらっしゃるんですから、そりゃアナタ
記念の石碑でも作りたくなろうというもの。
大野の集落を抜けると、そこは、反野畷(そりのなわて)。
かつては、田の中の一本道だった場所で、長い松並木がありました。
その名残の松が、今も僅かに残っています。
一里塚を超えて10分ほど歩くと、県道24号線との交差点に出ます。
ここから、車で5分ほど南に行くと、
新名神のインターチェンジ「甲賀土山」があります。
インターチェンジは、
旧甲賀町と旧土山町の町境付近に建設されたので、
両町名を合わせたこの名前になったそうです。
何だか、市町村の対等合併みたいで、担当者の苦労が偲ばれます。
お互い揉めないように・・みたいな。
JR 草津線は、石部宿を超えた三雲あたりから、
それまで並行していた東海道から離れ、南へ大きく迂回します。
その結果、水口も土山も、歴史のある宿場町にもかかわらず、
鉄道から切り離されてしまったのでした。
地元の人の足は、もっぱら自家用車かバス。
それを考えると、あの複雑なバスの路線図にも合点がいきます。
話は変わりますが、
実は、さっきからトイレに行きたいのでした。
この先どう見ても、それらしい施設もなさそうなので、
(っていうか、昔の人はこういう時どうしてたんだ?)
ここは、いったん東海道を外れます。
左折して国道1号線へ。
国道一号線の頓宮交差点をわたって西へ歩くと、
滋賀の誇る平和堂フレンドマートがありました。
助かった!!
トイレを借りて、昼食を調達して、イートインで腹ごしらえ。
これこそ、令和の「立場」。ありがたい。
きゅうり巻きに食らいつきながら、google map でルートを確認。
土山までは約3キロ。
旅も後半。もうひとがんばりだ。
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