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トイ・ストーリー4の感想(ネタバレあり)

比較の為「クリード炎の宿敵」のネタバレにも触れております。

MOVIX京都で字幕版で鑑賞。字幕版のせいか思ってたよりお客さん少なかった印象。 

トイ・ストーリーシリーズと自分との距離感

トイストーリーシリーズは子供の頃に1作目をテレビでやってたのを録画したVHSで何回か観ていた。2はTVでやってたのを観た気がするんだけど全く覚えてない。3の公開タイミングではまだ映画をたくさん観始める前だったの映画館では観てない。

映画にハマりだしてピクサー作品のクオリティのヤバさに意識的になったタイミングで1と3だけ見直して面白かったという記憶がある。

という感じで、現在僕は32歳なので本来トイ・ストーリーど真ん中世代で、もっと愛着が合ってもおかしくないんだけど、巡り合わせが良くなかったのか、もちろん知ってはいるけどそこまでハマる事もなかったシリーズという距離感。

新しくなる程にクオリティがどんどん上がってて、リアルタイムで映画館で観た最新作に対して意識がいってしまうので個人的にはピクサー作品の中でそんな印象に残ってないシリーズだったりする。
そんな人間の感想なのであんまりシリーズの事とか分かってないかも知れないけど書き殴っていきます。

ウッディに対して完璧な送り出し

トイストーリー3で完結していて、そこからお話を続けて終わせるならあの形しかないよな、とは思っていたのて結末に対して驚きはなかったけど、やっぱりピクサーは普通に演出が素晴らしくて泣かされる。あのウッディの手の映し方とか本当丁寧。

アトロクでクリードⅡを評した時に宇多丸さんが脚本について「ロッキーを物語から解放してあげる話」と表現していたけど、今回ウッディに対してまさにそういう姿勢でピクサーが送り出そうとしてる感じがした。

これまでのシリーズで明確に命あるおもちゃと無機物との違いに対して言及してこなかったけど、フォーキーというキャラクターが完全に線引きしてしまった気がする。
それは「誰かが想いを込めて作ったモノ」かどうかという事だと思う。
そして、そうやって作られた時点で製作者の意図とは関係なく命が宿ってしまう。

これがそのままピクサーの考えるキャラクター論にもなっていて、何か伝えたい物語を語る為に作られたキャラクターが、映画が公開され観た人達に愛されたり、続編が決まり次の物語の為にまた別の側面を語らないといけなくなったりで、もう最初の製作者の意図を超えた「命」がある存在としてどんどん成長していってしまう。
そうなると物語の尺度を超えて、1つの命にとっての幸せとは何なのかという事と向き合わざる負えなくなってしまう。

トイストーリーの世界では「おもちゃは子供を喜ばせる存在」という大前提が常にあったのだけど、命が宿り何度も地獄巡りを繰り返し成長して自我が大きくなってきたキャラクターにとって、誰かを喜ばせる為にしか生きられないというのは奴隷と同じなのではないか?かという問いが浮かんでくるのだけど、その問いに対しては、とても誠実に答えている作品だと思う。

「内なる声に従う」というのが今回重要なセリフになっているのだけど、20年以上ピクサーを支えてきた立役者と言っていいキャラクターであるウッディに対して物語内のおもちゃの役割と、ピクサーの中心キャラクターとしてこうあるべきというしがらみみたいなものを何重も乗り越え、「愛する人と結ばれる」という小さな幸せへと送り出すラストにそりゃ泣いてしまうよ。

また仲間とのお別れシークエンスのラストカットが月の浮かぶ夜空なのが、トイストーリー3のラストカットとの対比で円環構造から脱出した事を示している様で感動する。

「キアヌ」のチームが最高

ギャグ描写は相変わらず安定のピクサークオリティだし、それに加え今回の新キャラのデューク・カブーンとダッキー&バニーのコンビには笑わされた。

デューク・カブーンはテンションの狂ったキアヌの声が最高。それだけに彼が持つTVCMの様に出来ない事や(1作目のバズが抱えてたトラウマとも近い)しょうもない理由で子供に捨てられた悲しみとかを、乗り越える展開がちょっと弱くてお茶を濁して流された感じが残念。

ダッキー&バニーは普通にぬいぐるみとして超かわいいと思っていただけにキーガン=マイケル・キーとジョーダン・ピールのキー&ピールコンビが当たり前に息ピッタリで見た目とのギャップにまあ笑わせてくれる。個人的にはおばあちゃんからどうやって鍵を盗むかのくだりが、無駄に長くて爆笑してしまった。

というかこの二人のコンビとキアヌ・リーブスって猫コメディ映画の「キアヌ」の布陣だったんだなぁ。未見だったけど観てみようかな。

不満点

不満点を言うとギャビーちゃんのラストがあんまり納得いってない。

彼女が切実なまでに子供に愛されたい存在なのを丁寧に描いたシーンはそりゃ泣いてしまうのだけど、ウッディが彼女を連れ出す展開がまず弱い。あれ確かボニーの所へ連れていくのが目的だったんだよね(違ったかも)。でもボニーが気に入る保証なんてないし、両親によって捨てられるかもしれないじゃん。

そこから途中に出会う迷子の女の子に拾ってもらう展開もまた結局すぐ捨てられるかもしれないし、ウッディが自我を肯定していく完璧なラストを見てしまうと彼女のラストはなんかモヤモヤする。

あとラスト付近のキャンピングカーの運転を阻止するくだりは結構ギリギリというかアウトな気がした。ナビのふりをして声を出すとか、ブレーキとアクセルを操作して車を乗っとるとか、もう人間に対して害意をむき出しにし過ぎな気がしてルール設定ぶっ壊れてると思った。

おもちゃが人間にしゃべるというシーンは、一作目のラストにシドに対しての仕返しシーンがあるけど、あれは一回だけの禁じ手だからこその痛快シーンだった訳で、ここまで人間に対して下手するとケガ人が出かねない妨害工作するのは、もうチャッキーとかアナベルとかホラー映画に出てくる呪いの人形と同じ。

家族サービスの為にがんばって計画したキャンプ旅行が、おもちゃ達のせいで踏んだり蹴ったりの恐怖体験をする事になったボニーの両親の気持ちになると胸が痛む。可哀想。


という感じで気になる所はあったしシリーズに対して思い入れはない人間だけど、製作陣がウッディに対して一つの命として真摯に向き合って作品にしてるのは伝わってきたし、シリーズの完結としてとても満足した。

ツイッターでは賛否別れているみたいだけど僕は支持したいと思います。

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