祖父とクリスマスイブ
久しぶりのnoteの執筆がこの記事になるとは。
いつも温めては終わって世に出ない記事がたくさん下書きに残っているのだが、この記事はすぐに執筆してそのまま今世に出そうとしている。
これは完全に私のための記事で、このことを世に出すのはどうなのかと思う人もいるかもしれない。自分の中で留めておけよ、と。
でも私は書く仕事をしているので書く。忘れないように私の一部となるように書く。そして少しでも祖父のことを、命の尊さを誰かに知って欲しいなと思って書く。
2022年12月24日。私は一仕事終えて、イブの晩ご飯の仕度に取り掛かろうとしていた。そんな時弟から電話があった。3日ほど前に母から話を聞いていたのでもしかしてと思った。
「じいちゃんが亡くなった」
電話を切った瞬間、なぜか冷静になってしまった自分がいた。
でも食材など料理をしているうちに涙がこぼれた。
その後もふと気づくと涙がぴょこぴょこと出て拭いてはを繰り返す。少し疲れてしまったので、昼寝をしに布団に入った。
その時祖父の夢を見たわけではないのだが、不思議と、温かい眠りにつけた。
何か包み込んでくれるような温かい優しい眠りと目覚め。明らかにいつもと違う眠りに私は祖父が私のとこに来てくれたのだ、と思った。
祖父は穏やかな人だった。兄弟の末っ子、福岡生まれ。養子に出された時期もあり、苦労人だったと聞いている。それでも一流大学(一家で一番偏差値が高い)をあの時代に出てるのだから本当にすごいと思う。
教育心理を学んだ後は九州を出て児童相談所で働き、祖母と出会った。そして家族ができた。児童相談所の後は、大学教授や看護学校で児童心理の教鞭をとっていた。私の知るじいちゃんは大学で先生している時代からだ。
一日に一本だけタバコを吸う。趣味は囲碁くらい。お散歩は欠かさない。畑仕事を楽しむ。とてもマイペースで穏やかな小さなおじいちゃんだった。幼い私から見てもなぜかいつもご機嫌そう。もしイラストに書くならピクミンみたいに頭から芽を生やして揺らしながらてけてけと歩いているイメージ。いとこによると、学祭に祖父を連れてきた時いろんな学生からかわいい!と言われていたそう。
葬式で知ったのだが、いのちの電話の相談員もやっていたそうだ。
ホームに入って、頭がぼけてしまってもいつもニコニコして職員さんから人気だった、そんな人だった。
私は離れて暮らしていたのであまり祖父と過ごせなかった。
それでも教育に興味を持って教育学部に進学しようか迷ってた時は教育心理を専門にしてた祖父は、すごく喜んでくれたし(結局行かなかった、じいちゃんごめんよ)、思い出はたくさんある。
私は覚えてないけど、祖父との思い出で好きなエピソードは、祖父が職場からキジをもらってきて駐車場で捌くのを幼い私がじっと見つめていたエピソード。祖母と母は悲鳴をあげ私を連れ戻そうとしたそうだが、ニコニコして私を面倒見ながらキジを捌いてた祖父が記憶にないけれど想像できる。
祖父の人となりを知る中で、勉強が好きだったり、教育に関心があったり、精神が安定してたりと私が引き継いだところもたくさんあるなと思うと嬉しかった。
最後にあったのはコロナが流行り始めたての頃。その頃はまだルールも厳しくなかったから祖父がいるホームに行ってお話ができた。少しボケが来ていたけど、私の仕事の話を聞いて喜んでくれていた。
祖父は流行病で亡くなってしまった。「もともと病気はあったけど、悔しいね」と母は言った。日々報道される人数。この尊い命がカウントされてしまっている、その事実がなんだかやるせない。
お葬式では祖父と祖母が結婚した白黒の写真から、母が子供の写真、孫が生まれた写真、最近の写真までスライドショーが流れた。
会場に訪れた祖母に結婚式の写真はいつごろの写真か尋ねたら60年以上前じゃなと言っていた。穏やかな祖父とチャキチャキした祖母は本当にお似合いだったと思う。
インタビューライターの仕事をするようになって、どんな人にも素敵なストーリー、そして揺らぎない価値観があると知った。
祖父のストーリーはどうだったのだろうか、どんな価値観があったのだろうか。もっと前にインタビューに出会い、インタビューしたかった。
当たり前だけど人はいつかその生涯を終える。焼かれ骨になってしまう。
それでも命のバトンはつながれていく。
葬式に来ていたいとこの息子さん、祖父からみてひ孫になる子たちを見て思った。
ひ孫ちゃんはよく分かっていないだろうけどいとこと一緒に骨を拾っていた。
ああ、こうして命は巡るんだ。
じいちゃんがいたからこそ、ひ孫ちゃんたちもいるし、私も今ここにいるんだ。
いつも書斎で本を読んで、その道を貫き、いつも穏やかでご機嫌で周りを癒していた祖父。祖父の仕事で心を救われた人たちもいるはずだろう。祖父は何者だったのか。歴史に名を残したり、何か大きな会社を立ち上げたりとかそういうことではなかったと思う。ただ目の前の困っている人に対して自分ができることをコツコツ積み上げていった。
素晴らしい人だった、素晴らしい人生だったのではないだろうか。孫の私は少なくともそう思うし、胸はって素敵な祖父だったと言える。
私はどう生きるか。
少なくとも祖父から引き継げていることを誇りに思いながら、今を楽しんで生きていく。そして世のために仕事をする。目の前の人を大切にして助ける。
そうしていつか人生を終えるときに私の姿や人づてに私の話を聞いた誰かが、例え血の繋がりがなくとも、自分の人生に対して前向きに勇気づけられるような人生を送ることができればいいなと思った。
どうか安らかにお眠りください。