「人生は幼いころ夢見たとおりになるのかもしれない」
猫6ショロー1
生まれた翌日から猫と暮らし始めた人生も折り返し点を過ぎた。
現時点で猫6匹。
ワタシにとって、この6匹がショロー暮らしにとって最適な数に思えてならない。
キャットシッターでクライアント宅を訪問するなら、「6匹は多いなぁ」と感じたはずだ。一定の時間内で6匹のサポートをするのはそれなりに熟練さが必要になるからだ。
しかし、在宅の毎日なら6匹くらいがちょうどいい。
オス3メス3のバランスもよい。
1歳から19歳の年齢的なばらつきもおもしろい。
もし「室内で100匹の猫と暮らせ」と言われたら、正直ごめんこうむりたい。おそらくトイレと抜け毛、吐いたもの掃除で1日が終わってしまう。
このへんのアウトラインは人それぞれだ。
小学生のころの夏
ワタシの父は、ワタシが小3のとき脳溢血で倒れ、以来亡くなるまでの10年間自宅で寝たきりとなった。そのため、母は父の介護をしながら、父に代わって寺の僧侶の勤めもしなければならなかった。特にお盆の夏は忙しく、母は朝から檀家をまわる。ワタシは寝たきりの父と留守番の日々だ。
毎日、縁側で本を読みながら過ごした。かたわらには常に猫たちがいた。
父が寝たきりなのも仕方ないことと諦めていたし、友だちと遊べないことは別段苦ではなかった。
毎日、好きな本を読んで、猫たちとゴロゴロして、眠くなれば寝る。
猫たちは開けっ放しの家の内と外を自由に行き来していた。
最近、このころのことをよく思い出す。
そして「あぁ、結局昔と大して変わらないなぁ」と思う。
あのころから今に至るまで、ワタシに必要なものは「本と猫」だった。
その後、いろんなものに夢中になったが、65歳の今、氣がつけば小学生のころと同じ夏の過ごし方なのである。
ぐるっとひと回りしてまた同じところに戻ったような。
多少高さ、深さは増したとは思うが……。
夢見ていたのは今の暮らし
小学生のころ、学校で書かされた「将来の夢」にワタシはこう書いた。
「猫か、お手伝いさん」
これには担任も困ったろうね。
もっとも、日ごろから「猫はいいなぁ、ホントに猫はいいなぁ」が口癖だったので、驚くにはあたらなかったとは思うけど。
当時は引っ込み思案の氣の弱い性格だったため(性格は180度変わるのだ)、「お手伝いさん」という縁の下とか裏方とか舞台裏とか、表立ってない部分がジブンに合うと思っていた。結局33歳で、猫の留守番を手伝う仕事を始めたのだから、小学生のときの夢は叶ったのだ。
本を出せた。
雑誌の連載もやらせてもらった。
猫グッズも作れた。
古民家にも暮らした。
猫の図書館もやってみた。
cafeと簡易宿泊所もやってみた。
で、今、6匹の猫と海の近くに暮らしている。
どこにも所属せず、なんの肩書も持たず。
したくないことはせず、予定を入れず。
猫のしたたかさ、しなやかさをお手本にしながら、ブリコルールとなる。
人はなりたいようになる。
思った通りに生きられる。
思い込んだもん勝ちである。
猫たちに言う。
「患わずにスッと逝けるから大丈夫」。
ワタシ自身も「今だ」と思ったとき、躊躇なく笑って逝けると確信している。
イメージ出来たら実現可能なことは、これまでの体験で実証済み。
猫たちはそんなことは言われなくても先刻承知である。
というか、そもそも死ぬことを恐れていない、そこにいたる過程も心配していない。
タオが最後の猫となるのか?
タオ1歳、あと20年生きるとして、そのときワタシは86歳。
逝くには丁度良い年齢である(と今はそう思う)。
このおもろい猫がワタシのラストキャットになるのか、それは分からない。
まぁ、きっとなるようになる。
不妊手術も無事に済み、おなかの毛も生えそろってきた。
おじちゃん、おばちゃんのペースをかき回し、毎日ワッキャーな活力をありがとう。
この写真を見ればどんなときも必ず笑える、これだけでタオは生まれてきたミッションクリア。
続く
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