3/13 「猫びより」春号発売中
おはようございます。
雷鳴が轟き、稲光が走った昨夜、明けてマイナスイオンに包まれた野原が朝日にキラキラ輝く今朝。明けない夜はない。
2000年から途切れずに連載をさせてもらっている「猫びより」の最新号が出ました。青空バックのりりしい猫さん、なにを見ているのでしょうか。
「まぁるい虹」63回のタイトルは「悲しみから喜びへの変遷」です。
昨年10月に夏子(19歳)が逝ったとき、ワタシは泣きませんでした。
死=悲しみ、涙、辛さ、喪失感といった一般的な概念から解放されつつあるなぁ、と思うのです。
なぜ宮沢賢治は妹とし子の死をあんなにも激しく悲しんだのか。
なぜフランチェスコの死を悲しむ人がいなかったのか。
ふたつのお話を交えて、ワタシなりの看取りの変遷について書きました。
この「まぁるい虹」という連載は、「死生観について」というテーマでスタートしたものです。猫と人間の付き合いのおける死生観について書いてきました。始まった当初は猫を失った悲しみに満ちた内容でした。後悔や喪失感もたくさんありました。ということはつまり人間側目線だった。しかし、この10年くらいで死生観も変わってきました。少しずつ猫たちはなにを望んでいるのか、と考えられるようになった。
避けられない死を、どのように迎えるか。
旅立つ猫にどうすれば苦痛や負担を減らせるか。
猫の死を通してオノレの生き方を振り返る。
「死者との約束を守る」
あちら側に渡った猫たちに話しかけるとき、ワタシは嘘をつかない。
彼らに嘘をつく必要がないからです。
しかし、まだこちら側にいるものに対して、嘘は常備薬でもあるんです。
そして、真実は劇薬になり得ます。
死者に語り掛けることばがワタシのたましいからの発信、そんなふうに思います。
死者には「語り掛ける」という表現です。
「話しかける」でなく「しゃべりかける」でなく「呼びかける」でもなく、語る。
「語る」は「吾」の「言葉」。
語りたくなるときは、相手と、ときと、場所をよくよく選ぶ。
これを間違えると大変なことになる。
ただし死者に対しては、この点が安全安心ですね。
ですから、死者との会話は心の安定にとても重要だと思います。
死者との対話を続けること。
死者と約束をしたら、その約束は守られます。
その約束通りに生きるようになる、ともいえる。
ワタシの場合、あちら側に渡ったみんなと再開するとき、恥ずかしくないように生きようと。「ご機嫌元氣」という言葉はそこに至るまでの自分への励ましの言葉です。
死を想うことで、今このときを輝かせることができる。
誕生と同じように死も祝えるように……。
そういう生き方をしたいと思っています。
では、今日もご機嫌元氣な1日にいたしましょう。