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11/7 土用の伐採作業と「手のひらと甲」

おはようございます。
昨日は「薪取り会」この秋の初日、高台の桜の木を伐るというミッションでした。
去年はすでに切り倒した木を運んでいて、切り倒すというのは初めて。
畑を取り囲むように10本くらいの桜の木が並んでいて、ピンクの花もチラホラ咲いており、正直切るのは忍びない氣がしたのですが……。
大木ではなく、直径2,30cmの太さの桜。

会員さんたちは手慣れたもので、木にロープをかけ、根本をチェインソー入れる。
ワタシたちは綱引きの要領で倒したい方向にロープを引っ張る。
ふと「イカゲーム」を思い出しました。
倒れた木の枝を払い、幹部分を適当に分割して、トラックの荷台に乗せて薪置き場に運ぶ。
この単純作業が昨日はなぜか疲れました。
足元が柔らかい土だったせいかしら?
半年ぶりの作業だから?
桜の木の怨念とか?
帰宅してから、(あ、土用中だった)と氣づきました。
土いじりどころか、桜の木の命を絶つようなことをしたのですから、当たり前です。

昔からの知恵には意味があります。
そうしたものを無視してきたから、今現代人は自然からのしっぺ返しを貰う羽目になっているのではないか?
あまりにワタシたち、人間の都合を最優先させてきましたからねぇ。


来週はこの5本の桜も伐られる

薪を作る作業は嫌いではありませんが、現場に出るとついからだが動いてしまう。そこには情けないことにオノレの考えがない。
現場では「やらない」という選択肢がなくなってしまう。
このへん、つくづく日本人ですね。
みんながやってることをやるのが「よし」とされ勝ち。
人が3人以上集まってなにかするときの微妙な兼ね合いが難しい。

たまに団体行動に参加すると、ひとりが楽だな、と思ってしまうのです。
ひとりでいる方が孤独感を感じずに済むんですよねぇ。
社会生活の適応力が格段に落ちてる。
反面、孤独に強くなってる。
いい悪いではなく、要はバランス。
昨夜読んだ『ゲド戦記』に反対に見えるふたつの事柄を「手のひらと甲みたいなもの」と表現していて、妙に納得しました。

薪になる桜の木

さぁ、今日も氣持ち良く晴れました。
ご機嫌元氣に参りましょう。

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