6/18 ちぃちぃといっしょ(3)
おはようございます。
2018年、今から6年前、ちょうどワタシが還暦を迎える年、ちぃちぃ22日間の大冒険がありました。
東京から和歌山・那智勝浦町の「猫楠舎」に到着直後にちぃちぃは外に飛び出してしまったのです。1月末、寒さが厳しい時期で、まったく土地勘のない場所、どんなにか心細かったことでしょう。
毎日ちぃちぃの無事を祈りながら、捜索をした日々を今も忘れません。
そして、再会したときのからだじゅうから湧き上がる感情も。
軽くなったちぃちぃをしっかりと胸に抱き、家に向かう光景と、そのときの氣持ちも昨日のことのように思い出せます。
「ちぃちぃ、ありがと、ありがと」
この子を二度と離さないと、こころに固く誓った瞬間でした。
捜索の途中、捕獲機に入った長毛の美猫は、現在東京のキャットシッター、ヤンヤンの家族となっています。
これもまた、ちぃちぃからの贈り物でした。
捜索を通じて、地元の方々との交流、温かい励ましを数多くいただきました。逆に一部で逃がしたことへの非難の声もあり、渦中にあってそうした声が簡単にヒトのこころを折ることにも氣づかされました。
この戒めもまた、ちぃちぃからのギフトです。
以下、帰還までの経過blog、なんらかの参考になればさいわいです。
帰還後のちぃちぃはすっかり外に出たがらなくなりました。
糸島に移住後も、ちょっと庭に出ても呼ぶとすぐに戻って来ていた。
傍が何と言おうと、お外での体験が、ちぃちぃとワタシの関係をより強めてくれたことは間違いがありませんでした。
ちぃちぃはワタシが寝室で、「ち」と短く呼ぶと、どこにいてもすぐに駆け付けてくれました。ワンコちっくな猫だったのかもしれません。膝に乗る、枕元でゴロゴロいう、腰パンをねだるなどなど、犬のかわいらしさを持った猫だった。そして、実に意思疎通が容易だった。このことが、今感じている寂寥感につながっているのだと思います。
わこ、トーマ、ヤムヤム、タオは猫らしい猫です。
ヒトの言うことなんか聞かない。
それが当たり前で、ちぃちぃはある種特別だったんです。
亡くなって初めて氣づいた……。
おそらく、これからも「そうだったのか」ということが出てくるでしょう。
キュルキュルと胸が縮み、肩がこわばり、鼻の奥ががらんどうになる感じ。
それでも逃げずに向き合って、ちぃちぃとの対話を続けようと思います。
お付き合いいただきありがとうございました。
今日もご機嫌元氣な1日となりますよう。