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2/22 賢治の「ただ一人の友」

おはようございます。
今週は雨続きで、しぜんと本を読む時間が長くなっています。
昨日は『宮沢賢治の青春』菅原千恵子(角川文庫)をほぼ一氣読み。
副題に「ただ一人の友 保坂嘉内をめぐって」とある。大正5年(1916年・賢治20歳)、盛岡高等農林学校で出会った保坂嘉内との交流の記録と、作品に表わされた賢治の保坂嘉内への想いを丹念にすくい上げた作品でした。

左奥が保坂嘉内、右奥が賢治

賢治という人は、詩人、童話作家、教育者、科学者、農業、宗教と多面的な生き方をしたためでしょうか、またその作品の難解さゆえか、全世界の各分野から研究がなされています。その多くが賢治へのオマージュであり、「聖人賢治」「真摯な求道者」といったイメージのもの、あるいは逆に性急な否定もある。著者はそれらについて下記のように言っている。
「それぞれの研究家が自分の立っている位置から森に入り、そこに 沼があったとか、鳥がいたという報告をしているようなもので、森全体を立体的に眺めたようなものに出くわすことはほとんどないと言ってよい」
つまり本書はこうしたものとは違うのだよ、と。

ワタシの賢治経験は教科書に載った賢治の「雨にも負けず」だったと思う。そのいかにも押しつけの道徳教育的な感じに、
「こんな真面目で、ええかっこうしぃは好かんわ」
と思ってしまった。
ただ授業で聞かされた長岡輝子朗読の『永訣の朝』だけは文句なく「すごい!」と思いました。
で、もともと「詩」が分からないニンゲンということもあり、60歳を過ぎるまで賢治を読もうとしない時代が続いたのです。たぶん読むことは読んだが難しかった。何言ってるのか、何を言いたいのか分からん……。

ところが、60歳ごろからにわかに賢治に興味が湧くようになったのです。きっかけは河合隼雄。河合先生の著書を読み進むには賢治の世界を知らずには読められないように感じたからです。
ところが、河合先生がよく引き合いに出される『毒もみの好きな署長さん』を読んで、ワタシの頭の中に「?」が飛び交ってしまいました。
なぜ、河合先生はこんな話が好きなの。
読んだ当初の感想が、それだった。
この「なんで?」から賢治の森探検が始まったわけです。

今なら少し分かるようにも思う、河合センセはなぜこの話が好きなのか。
じぶんのなかにある悪の部分、そこを賢治は善悪で判断せず、そのまんま書いた。ニンゲンってこういう部分があってはじめてニンゲンなのかもしれないよ、と。

さて、多くの賢治作品の難解さについて、この本でようやく納得がいった。
ざっくりの結論から言うと、賢治は「たった一人に向けて書いていた」のである。そのたったひとりが保坂嘉内で、彼だけが分かってくれさえすれば賢治は満足だったのでは、ということですね。

最期まで推敲を重ね、賢治の代名詞となった『銀河鉄道の夜』の謎解きも「なるほど~」と思える部分が多かった。
たとえばジョパンニが持っていた「どこへでも行ける切符」は、見方を変えると「どこへ行ったらいいか分からない」切符でもある。
そしてジョバンニに賢治が投影されているのは当然として、カンパネルラを妹とし子にする説がけっこうあるが、本書ではカンパネルラは保坂嘉内一択である。ひとつひとつのセリフや物語の中での出来事が賢治が保坂に当てた書簡や賢治の詩から読み解かれ、説得力がある。

「打てば響く」仲のふたり、演劇通だった保坂。
賢治より国柱会・田中知学の講演を聞いていた保坂。
キリスト教と法華経、「ひとびとのこうふく」、農民劇、
どろの木、岩手山登山、杉の木、電信ばしら、犬、「修羅」という言葉……。
賢治作品のすべてが保坂嘉内に向けられていたのか。

「ふたり一体となってどこまでもいっしょに行きたい」賢治の一途な想いにも関わらず、保坂は賢治から離れていく。
この決別が大正10年(1921年)賢治25歳のときで、これ以降作品の質がたしかに変わって来る。法華経に邁進していた氣持ちが揺れが生じ、これは死ぬまで賢治を苦しめるのだ。

『銀河鉄道の夜』におけるジョバンニのカンパネルラに対する氣持ちがまさにそれだ。 
「どうして僕はこんなに悲しいのだろう」
完全無欠と信じ切っていた法華経の破綻、限界に突き当たって当惑する賢治が見える。
保坂との別れによって法華経に対する態度が揺らぎ出したのだ。

そして、本書には触れられていないが、法華経を勧め国柱会に入会させた妹とし子に対する賢治の申し訳なさもあったはずだ。
だから、とし子の死にあれほど慟哭したのではないか。

農業によって「ほんとうのさいわい」を目指そうとしたのは、保坂に認めてもらいたかったからだろう、という推理も成り立つように思う。
いきなり家出をして、国柱会に入会したのも保坂を引き止める手段だったかも。

これ、完全に恋愛ですね。
そうか、そうか賢治、青春だったんだね~。
ワタシは「聖人賢治」より、こっちの賢治に親しみを覚えるぞ。

賢治は保坂との別れ以降一生迷い続けることになったのだ。
著者はあとがきでこう書いている。

「真珠は自分の貝の内部が異物の侵入で傷つけられた時、 その遺物を体内に取り込み 、長い年月をかけて あのように輝く 真珠に変化させるという話を知ったとき、私は賢治と彼の作品のことを思った。 誰にも語れぬ悩みを胸に秘めて、その孤独の中に人生を生き抜いた時 、彼の作品は変容し 見事に昇華したのである」

また高村光太郎は
「内にコスモスを持つものは、世界のどこの辺遠にいても、常に一地方的な存在から脱する。 内にコスモスを持たないものは、どんなに文化の中心にいても、常に一 地方的の存在として存在する。 岩手県花巻の詩人 宮沢賢治は稀に見る このコスモスの所持者であった。 彼の言うところのイーハトヴはすなわち 彼の内の一宇宙を通して、この世界全般のことであった」
と賢治の全体像をいち早く 予見していたという。

前回書いた今野勉の『宮沢賢治の真実』もそうとうインパクトがあったが、本書も実に興味深い1冊だった。これから何度も読み返すことになると確信している。

BGMは角野隼人さんのピアノ、今一番のお氣に入りです。

ではでは、今日もご機嫌元氣な1日を。
ありがとうございました。

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