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ヤムヤム2021年 第6話
スリスリ
廊下の端には猫トイレが3個あった。
中の砂は、かすかにおからの匂いがする。
食べてみよか…む、む…
まぁ、食えんこともないけど、うまくはない。
『こりゃ、サイレン君、それは猫砂、食べもんじゃないよ』
わ、わかっとるわい。
ふんふん、みんな、ここで用を足すんやな。
玖磨じぃちゃんは、テントの中でぐふぐふいびきをかいて寝とった。
テントの中には、トイレと籐かごの寝床、ごはんと水。
そして真ん中にどーんと角材が置いてあった。
『ああ、それ? 目が見えなくても刺激がないとね。角材跨いだり、避けたりするのも玖磨ちゃんのいい運動になる。うちは過保護より運動主義』
ふーん、そんなもんかいな?
玖磨じぃちゃんのテントがある部屋には、3階建てのケージもあった。
これは今使われていないようやった。
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そして、隣の部屋にはちぃちぃたちがいた。
「ちぃちぃ、トーマ、わこ~。わー、来たよ」
わーを見ても、みんな驚かんかった。
なんで?
わーがいるのが当たり前みたいなフツーな感じや。
なんで?
それにおばちゃんは、さっきのベンチに座ったまま本を読んどる。
ときどき本から目を上げて、わーを見よる。
昨日みたいに無理やり捕まえる氣配はない感じや。
いやいや、油断は禁物やで。
おばちゃん、ああ見えてけっこう素早いからな。
ほんでわーはじわそろじわそろと、おばちゃんに近づいていった。
昨日の「いつでもオッケー」の意味が知りたかった。
おばちゃん、こっち向いてぇな、おばちゃんってば……。
なんや今日は無視かいな。
おばちゃんの氣ぃを引くにはどないしたらいいん?
ここでワーワーサイレンは使わんほうがええな。
んーと、そや、これはどないだ?
わーはおばちゃんのふくらはぎに、わき腹をスリンと押し付けたった。
ほいでな、ササッと逃げたんや。
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ほしたら、おばちゃんは黙ったまま、わーを見て、掌でポンポンと2回、ふくらはぎを叩いたんや。
ポンポンってな。
なに? もう1回って?
すると、また、ポンポン。
おばちゃんがわーを見とる。
おーし、こうなったらやったるぞ。
スリン、スリ、スリ。
1回目は最初と同じように、後の2回は軽く素早くやって、すぐに離れた。
おばちゃんがまたポンポンした。
今度は往復スリスリや、どや。
おばちゃんの掌が、ふわっとわーの頭の後ろを撫でた。
なに、コレ、ぬくいわぁ。
んで、今度はおばちゃんの指先がカイカイ、こにょこにょしたんよ。
うひょ、こにょこにょ、氣持ちええ。
んで、今度は腰のあたりをパンパンし出した。
『コレ、好きでしょう? あーん、分かってるんよ、サイレン君はここ、パンパンされるの好きだよね』
こんなんされるの初めてやから、好きもなんも分からんけど、おばちゃんの掌に触られたとこはポカポカになる。
なんで?
ほんでも、わーは何度かおばちゃんから離れたんよ。
すると、おばちゃん、真面目な顔をして、わーにこうゆうた。
『あのね、うちの子になるなら去勢手術をしてもらうけど、どうする?』
「去勢手術?」
『そ、それがここで暮らす条件だから、よおく考えてといてね』
夜半の雨
去勢手術がなんなのかは分からん。
ほんでも、おばちゃん、わーに「この家に入るか?」と聞いとるんやわ。
それは分かった。
『どうするかはサイレン君が決めて。ただし、ワタシは待てないタチ、これは覚えといて』
そうゆうて、おばちゃんは外へのガラス戸を開けた。
キンモクセイの香りが一氣に襲いかかってくる、その香りにむせ返りそうになる。
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わーは外に飛び降りた。
足裏に、草と地面の慣れ親しんだ感触が戻って来る。
これが外の世界や。
外からネコクス舎の離れを見ると、みんなは廊下で思い思いに好き勝手しとる。
あれが、中の世界や。
ベンチに座っているおばちゃんが、わーに目線を合せてきた。
その目は「はよ、おいで」と誘っているようにも見えるし……。
んにゃ、た-だ見てるだけかいな。
ううー、わからん。
その晩、石のベッドはひんやり冷たく、おまけに夜半から大粒の雨が降ってきた。
ひさしの下やから、雨には濡れへんかったけど、寒うて寒うてからだがガチガチ震えた。
それより腹が減ってたまらんかった。
みんなが食べていたごはんを思い出すと、余計ひもじくなった。
中は、食べもん探さんでも、朝夕2回やもんなぁ。
1日1回でも御の字や。
わー、好き嫌いゆうたり、残したりせぇへんぞ。
雨が強うなって、風がゴーゴー唸りだした。
いっくらからだを丸めても、耳先やしっぽの感覚がのうなっていく。
玖磨じぃちゃんは今ごろ、テントの中でヌクヌク眠っとるんやろか。
ちぃちぃとトーマは抱き合ってるんやろか。
わこの長毛が羨ましかった。
怒りんぼ夏子はおばちゃんと布団の中やろか……。
もうすぐ、冬が来る……。
決意
翌日、わーは思い切って家の中に入った。
すでにガラス戸が開いていたからや。
ピョンとジャンプして廊下を歩いていく。
相変わらずみんなは驚きもせず、知らん顔やった。
ここは、そうなんやな。
なにが「そう」なんかは分からんが、とにかく、このうちはそうなんや。
おばちゃんは廊下のベンチに座っとった。
今日は本を読んどらんかった。
あ、ガラス戸を開けとるから、みんなが外に出んように見張っとる? たぶん。
よ、よし、今日はわーから行くでぇ。
わーはすっと寄って行って、おばちゃんのふくらはぎにスリンとわき腹を押し付けた。
『あら、あったかい。サイレン君は体温が高いのねぇ』
おばちゃんはわーの頭を撫でて、そうゆうた。
後頭部から耳先に手を滑らせたおばちゃん。
『夕べは寒かったんじゃない? でも無事に乗り切ったんだわね』
わーは、それに答えずに、おばちゃんのふくらはぎめがけて、グイッと頭突きをした。
『あら、今日は積極的なのね。そういうことなら、そうだ、ちょっと待ってて』
とゆうて、静かに立ち上がった。
すぐに戻って来たおばちゃんは、
『これ、食べる? うちのごはん』
とゆうて、一皿の器ををわーの前に置いた。
その中には、固形のこげ茶色のものとトロッとしたものの、2種類入っていて、ものすごう魅惑的な匂いを放っていた。
口のなかに唾がわんわん湧いてきて、よだれを垂らしそうになる。
ほ、ほんでも、ここが堪えどころや。
かぁやんに習うた「ヒトたらし心得」その1。
「ヒトを手玉にとろう思うたら最初が肝心や。食べ物を見せられても、物欲しそうな態度を見せたらアカン」
わーはそれを思い出して、食べるのをぐっと堪えた。
おばちゃんに、わーが堪えてるんが分からんようにと祈った。
『あら、食べないんだ? ってことはよそに家があるのかな~』
おばちゃんはからかうようにゆうた。
わーは腹ペコを氣づかれんように、ゴロゴロ音を大きくして、ふたたびおばちゃんに体当たりのスリスリ攻撃を続けた。
『わかった、わかった、その甘え方はかなり有効よ。上達すれば将来サイレン君の必殺技になると思うよ』
「なんでおばちゃんはそんなことが分かるん?」
わーは体当たりを止めて、思わず聞き返した。
『それはねぇ、それはもっと関係が進んだときに話そうか。その方が楽しみが増えるでしょ?』
関係が進む?
たぶん、わーが決意せんことにはそうはならん。
家の中から外の景色を見る。
ほいから、くまホームに入って、も1回外を見た。
みんなはいつもここから、外を見とるんやな。
ヒンヤリした風が、キンモクセイの花を散らし始めとった。
もう、決めんとあかんわ。
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わーは、も一回外を見てから、家の中とみんなを見た。
最後におばちゃんを見た。
ここに決めよ。
わーはここに入る。
もう外には戻らん。
かぁやん、にぃやん、さいならや。
ホンマに、それでええんか?
ホンマに、ホンマに決めてええんか?
ええぃ、わーはここにいるんや!
肚が座ったら、なんだかちょっこっと大人になったような氣ぃがした。
氣ぃが変わらんうちに、みんなにゆうて回った。
「今日から、わーはここにおるよ~」
「ふーん」
「ここはわーのうちやよ~」
「ふーん」
なんやい、みんな、驚かんの?
「ここはさぁ、いろんな猫が来るから、いちいち驚かないんだよ。まぁ、地元の猫で、うちに上がり込んできたのは初めてだけどね」
ちぃちぃがのほほーんとした顔でそうゆうた。
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(続く)