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2/26 そらにちらばろう

おはようございます。
今、岩波現代文庫の見田宗介著『宮沢賢治』を読んでいます。
賢治の実家は花巻でも有名な古着を扱う豪商でした。
賢治は実家の財力に支えられ生涯を送ります。一方で貧しい人たちから金儲けをしている実家の業に苦しみ抜いた一生でもあったといいます。

小倉豊文の話
賢治の父政次郎は商用で岡山から四国にかけて出かけていた。
この地区は真言宗が多く、その檀家に葬式があると、 死人の晴れ着を旦那寺に収める風習があった。現在は「おきぬの」と呼んで代わりに白布を収めるところが多い 。政次郎翁からは「いい 品を安く買えたから」とだけしか 関西方面への出張の理由の説明は聞かなかったが 、おそらく このような地方的習慣を調べて 知っていたのではなかったか 。

父政次郎の商才が優れていただけに、賢治の苦悩、ジレンマは大きかった。家父長制度の強かった時代、ましてや東北においてはその枠からはみ出すことは許しがたいことであったろう。賢治は様々な抑圧の中にいた。
日本人のサガで、どうして賢治がもがき苦しんだイメージがあるけれど、そればかりではないと思えたのは、タイトルの「ちらばろう」という言葉だ。

突き抜けた先で四方八方に散らばり、新たな誕生を待つ。
賢治の小品にある『おきなぐさ』や『いちょうの実』に描かれる感じ。
早春散歩で、空にひばりが鳴き、白い雲が流れる景色を見るにつれ、賢治の朗らかにちらばり、次の生にかける思いに、妄想を膨らます。

タオの如月


賢治は 功利主義者を嫌ったけれども、 自分の内にある功利性を内観しないで、悲憤慷慨するような型の道徳主義者をもっと嫌った。それは自分を、ひとつの矛盾として意識することのないものである

オノレの中の矛盾を抱えながら日々生きていく。矛盾を意識することのない人というのはややもすると「正義の人」になってしまう。ワタシはこういうヒトが苦手だ。

いつも以上にとりとめのない文章になってしまった、ごめんなさい。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
今週も前を向いて、ご機嫌元氣に参りましょう。

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