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8/4 ちぃちぃが出発して2ヶ月経ちました

おはようございます。
この2ヶ月間、相変わらず好き勝手やっていながらも、どこかスローモーションなような時間の流れでした。
ちぃちぃ、いないんだっけ。
あれ、なんでいないのかな。
しかし、いたるところにちぃちぃは居たんです、そして今も居る。
話しかければ、ちぃちぃはいつだって応えてくれます。

7/29から深夜庭に出て星を眺めるようになりました。
ひゅんひゅん、ぴゅーぴゅー、面白いように流れ星が飛び交う。
流れ星を見ているワタシが「流れ星のワタシ」と念じると、ますます流れ星が見えるようになりました。
見ている対象と一体化する感じ。
そもそもが、見ようと思わなければ見えないですからね。
ワタシが見ている世界はだれかが見ている世界とは違う。
流れ星も、見ようと思わなければ見えない。

ちぃちぃが逝ってから、少しずつ変化が起こっています。
案外まだ「こうでなければ」と考えていたものがありました。
かつて、傷つけたり無意識に傷つけたかもしれない人がいます。
そうした人に謝りたい、それにはどうしたらいいんだろうと思っていました。
先日、何氣なく聞いていたラジオ。
「あなたは悪いと思っていることも、相手は忘れているかもしれない。その『悪かったなぁ』という氣持ちは忘れずにいて、同じようなことが起こったとき、相手は変わっても、誠実にこころを込めた対応をすれば、それでいい」
ワタシの解釈が入っているかも、ですが、こんな内容でした。
大切なのは当事者に謝罪することではなく、オノレの人間性、タマシイを磨くことで次につなげる。そうやって循環させること。
都合よくジブンを納得させたかったような氣がしないでもないけれど、ひとまず過去を引きずるのは止めにしようと思いました。

猫とのつきあいも同じです。
小さいころなんて、猫に対してなんとむごいことをしていたのか、と思いますが、なにをいまさらですよね。
今は違うわけですから、よしとせませう。

「めしくで」のトーマ

少しずつでも上昇スパイラルを描いているならオッケー。
なにもしなくても「まわりに心配させない生き方」をする。
反対に「まわりをハラハラドキドキさせる」人も必要。あんまり付き合いたくはないけど、こういう人は反面教師になってくれます。
「ちょっと困ったちゃん」が近くにいるとなにかと鍛えられますよね。
「みんなだれかの困ったちゃん」でいいんじゃないか、なんて今は思えます。困ったちゃんはあるとき救世主になりうるもんですから。

ちぃちぃも押し入れ猫だったり、放浪22日間があって、老賢者の風格を身につけた。そういう段取りであれば、さんざんアホなことをやりまくったワタシなんぞはこれからが楽しみですな。

ではでは、今日もご機嫌元氣な日曜日を。

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