自由ってなーに
こんばんは、6月とは思えないくらい暑いですが皆様いかがお過ごしでしょうか?
さて、さっそくですが、私には人生のテーマがあります。それは自由。
私は自由という言葉が好きだし、自由でありたい。できる事ならスナフキンやヨクサルのように生きていきたいと思っています。
それと同時にずっと自分の中で解消できない疑問がありました。
自由って何?
みなさんは自由についてどうお考えでしょうか?
ルールが無い、束縛されない。私たちの自由を縛るものはたくさんあります。
マナー、ルール、法律、世間の目などなど。
かといって全く法律やルールの無い世界になったらどうでしょう?
人類が心優しく、賢い人々の集まりなら、問題は無いかもしれません。
しかし、皆さまご存じの通り人類の何割かは愚かです。
今の人類が全く自由で、ルールの無い世界を作ったとしたら。ものすごい格差社会か、終末のような世界になってしまうのではないかと思います。
私が思うこの世界の、特に日本の不自由な所っって世間体とか世間の目って言う謎の概念に縛られている所だと思うんですよ。
子どもの時からそれは感じていて。どうして他人をとやかく言った上に、他人を良く分からないルールで縛れるんだろう?
みんながそう言うからそうなんだとか言われてもちっとも納得いかない。納得いかないルールに縛られるのがものすごいストレスで学校あんまり好きじゃありませんでした。
漠然とした疑問を抱えたまま大人になって、ある日私は一冊の本と出合います。ミルの自由論という本です。
感動しました。頭の中にあったもやもやが消えて行くような気分になりました。
自分の頭の中を言語化してもらった気分でした。
自由論について語ってしまうと、記事が長くなりすぎてしまいますのでまたの機会にします。
今回は自由論、というよりは自由論にも影響を受けている自分の価値観、という点からお話させていただきたいと思います。
では、自由について語る前に、私が嫌いな不自由の話をいくつかしたいと思います。
1,多様性・ジェンダー
皆さま昨今流行りの多様性、ジェンダー平等についてどうお考えでしょうか?
私としましては、””認めよう”という声が良く上がっていますが、そもそもそこにあるものを認めよう!というのも少々おかしな話かなと思います。
社会制度や、法の話は一旦置いておいて。
多様性や、ジェンダー平等、マイノリティに関して認められない!と憤る人の気持ちが良く分からないと言いますか。
あなたが認めようが認めまいが、色んな人々がいて生活してこの社会は形成されている。
そもそも、例えば友人や隣人が同性愛者であったとして、少数派だったとして、何か支障があるんでしょうか?
自分が不快=悪という意見を押し付けて、他人の愛の自由を奪う。
本来他人を愛する心は何よりも自由でなければならないはずです。
それは異性を愛そうが、同性を愛そうが、物質を愛そうが、全ては自由であるべき、そんな自由を奪う道理が果たして他人にあるのでしょうか?
2,常識
常識って本来であれば良い意味で使われるはずなんですよね。
例えば、道にごみを捨てない。というのは。そこで生活する人たちのために必要な常識、というかルールですよね。
そういう、必要な物はもちろん必要だと思うんですが、いわゆる謎マナーを押し付けてこられるのが嫌いです。
上司のグラスを空にしないだとか、お辞儀ハンコだとか、徳利の切れ目を使わないだとか(筆者は全部やった事ありません。飲み会では好きな人にしかお酌しない精神で生きていました)
それも、聞くところによると謎マナー順調に生成されて行ってるらしいですね。増やさないでもらいたいものです。
こういうマナーの嫌なところって、上司や先輩の俺は私は物を知っているぞ欲を満たすために振りかざされるところです。
徳利に至ってはそもそもある機能を無視しているじゃないですか。それでも”マナー”と言い張る、よく分かりません。
それ以外にも世間には逃げ恥で言われていたように、呪いがたくさん存在します。
女は結婚して子供を産まないと。きれいにしておかないと、きちんと化粧しないと……。
私が女性なので女の話ばかりですが、男の人にもたくさんこういうのはありますよね、男の甲斐性だのなんだのって。
特に私は、前職のめちゃくちゃ忙しい時に祖母から結婚しないのだの彼氏は作らないのだのと言われて、そんな暇があるか!と半ギレでした。女が仕事に生きて何が悪い。
でも、世間の声には拘束力がありますよね。
法的な力は無いですが、なんとなく、世間一般の普通から外れるのは良くない、レールから外れようものなら、変人だのなんだのと後ろ指を指される始末。普通でいる事の強要。
本当は、他人が他人を拘束できる理由なんて本当はないんです。あいつは変だと後ろ指を指すことで優越感やその仲間のような感情が生まれるだけ。自分はみんなと一緒だと安心できるだけ。
3,私が思う自由
さて、ここまで私が思う不自由についてここまでお話させていただきましたが、ここからは結論として私が思う自由についてお話させていただきたいと思います。
私が思う自由、それは
いつでも他人と距離が取れる事、だと思います。
社会の一員として生きる以上、最も人間の自由を奪うのは同じ人間ではないでしょうか。
会社で働くにせよ、学校に通うにせよ、人間関係からは逃げられません。
だからこそ、特に離れたいと思ったらすぐ離れられる環境があるのはすごく自由な事だと思います、学校や会社を休んだり辞めたりするのは簡単じゃなかったりしますよね。
もっと簡単に逃げられる世の中になれば良いなと思っています。
そう思うからこそ、私は今フリーランスを目指していますし、生き方なんてたくさんありますよね。
色んなことがもっと流動的になればいいのに、とも思っているんですがそれはまたいつかの機会にお話しします。
もし今回の私の話を聞いて面白いと思っていただけた方で、自由論未読の方がいましたら是非読んでみて下さい。
最後に、これはあくまで私の持論ですし、考えを押し付ける意図は全くない事を記しておきます。考えを人に押し付けるのは主義に反しますので。
さて、今回もこの辺りでおしまいにしましょう。ありがとうございました。良い夢を