意識的に手放す、挑戦。
「はななさんは、手放すのがお上手ですね」
焚き火を囲んでいた時、隣に居た人にそう言われた。なんでも何の躊躇もなく木材をぽいぽいと入れ、薪をくべていた私の姿が潔く、印象的だったらしい。全く自覚がなかったが、そう言われて少し嬉しかったような、手放し上手というより雑な性格が露呈してしまっただけだったような……。
たしかにモノの断捨離は得意だ。でも、自分自身の価値観や習慣、人との関係性をスパッと断ち切るのは、簡単ではない。本当は気が乗らないのに嫌われたくないからとリクエストを安易に受け入れたり、もう離れたほうがいいと思っても人間関係をズルズル続けてしまったり。そういう自分に、人生で少なからず遭遇してしまう。
誰しも、持っている価値観もしくはタイミングによって、手放しやすいことと、絶対に手放したくないものがあるのだろう。
先日、友人たちと「エンゲージメント・カード」というカードゲームを行った。自分や相手がいま大切にしている価値観を明らかにし、自己理解、他者理解につなげていくゲームだ。このゲームで価値観をあぶり出すために肝になるのは、「手放す」という作業だ。
まず、手元に7枚のカードが配られる。そこから順番に一枚ずつ新たにカードを引き、一枚捨てるを繰り返す。最終的に残った7枚のカードに描かれた価値観が、自分が大切にしている価値観となる。非常にシンプルなゲームだが、簡単に捨てられる言葉と、思わずうーんと唸りながらにらめっこする言葉とが面白いくらいに分かれる。
終盤、自分にとって「良い」価値観が絞られていくにつれ、この手放す行為が苦痛を伴うようになるのだが、それが面白く、発見の多いプロセスでもある。
今回、私が最後まで残した7つの価値観は、「自己認識」「自律」「おもしろい」「情熱」「創造性」「友情・仲間」「人間関係」であった。最終局面で迷ったのは、「挑戦」を残すかどうかであった。最初から手元にあった「挑戦」は普段であれば手放さない"ルーキー"カード。今回あえて意図的に手放してみようと思ったのだ。
時折、私は「挑戦」をプロセスではなくゴールに据えてしまう傾向がある。そうすると「挑戦しなければならない(そうでなければ周りから評価されない)」という苦しさに変わってしまうと、足がすくむ。だからこそ挑戦ルーキーの代わりに「おもしろさ」や「情熱」、つまり自分のピュアな好奇心に期待を寄せてみたいと思ったのである。
これまで無意識に大事にしてきたけれど、今あえて手放したらどうなるか。時々、意識的に考えてみても面白い。よく言うではないか、「手放さないと新しいものは入ってこない」と。