その場所から何が見えて何を見ていたのか
期待されることが苦手な私も親の仕事に憧れ、目指していたことがある。
自営であったため、親の職場で育ったような私には親の仕事をする姿は眩しく、誰に言われることなく自然とその道を行きたいと思うようなった。
しかし、健康上の問題もあり、親の名前を背負うことになるであろう人生は自分には難しいと諦めることにした。
医学部進学者を多く輩出する私の出身校には親の職業を目指す子が多くいた。
自発的に目指す子もいるが、目指さなくてはなくてはならない子が多かったように思う。
ある友人の受験後にこぼした「医学部に入れなくて親に申し訳ない」という言葉が忘れられない。
落ちて辛いのは友人自身のはずなのに申し訳ないとはどういうことなのか、当時の私にはまったく理解ができず、あの時の驚きと共に今でも時々思い出す。
近頃になって親ガチャという言葉を目にするようになった。
裕福な家庭や才能ある両親の元に生まれたら親ガチャ成功というのが一般的な評価らしい。
ここ十数年、自分の想像を超えた劣悪な環境の家庭があるようだと、思うところがあり自分なりに毒親関係をはじめとする対人関係について積極的に知識を蓄えてきた。
裕福で才能ある親を持つことが必ずしも幸せということではなく、親と同じ職業を目指す同級生の多くとうまくいかなかった理由もなんとなく見えてきた。
最近では教育虐待という言葉も取り沙汰されるようになってきて、より解像度があがったように感じる。
世間的に広く評価されているような偉大な親を持つプレッシャーは私には想像することもできない。ただ、その背景が自分のものだったらと思うと耐えられないだろうなと思う。
偉大な父の背中を追って覚悟を決めて難しい試験をくぐり抜け、選ばし者だけが就ける職を得ても、そこに待っているのが華々しい父の足跡であり、周囲や世間からの多大な期待や、父との比較を前提にした評価というのは想像を絶する。
そして、自分の年齢に父は成し遂げていた輝かしい業績に対峙する局面には見えるものも変わってくるだろうし、そんなハードルがこの先もずっと並んでいる。
更に父が残した最も偉大な記録が映画の題材になり、世間的に評価を受けている現状はその立場からはどう映るのだろうか。
21歳といえば、多くの場合、親の庇護下で将来をぼちぼち考え始めて、数多ある可能性のなかで逡巡しつつようやく社会に出る準備を始める頃だ。
失敗することが許されなくなってる昨今では私の感覚からはかけ離れているかもしれないが、少なくとも失敗してもまだまだ許してもらえるし、若気の至りといつか笑いにすることもできる、そんな年頃だ。
私もその年頃に受験に向けて通っていたアトリエで描いた絵を破いた経験がある。身体を壊して描けなくなっていた頃、つらくてどうしようもなくてやってしまったらしい。
らしいというのは、その時の記憶がないからだ。
こんなものなければ、こんなに苦しまなくていいのに。
あの轍にはそういう思いが込められていたのかもしれないと、緑の中に浮かぶ“破壊行為”の跡を見て思った。
ここまですべて私の個人的な経験と貧相な想像にすぎない。
人の人生についてあれこれ言えるほどの人間ではないが、少なくとも私の人生で大切に思ってきた事柄に関わっているので考えがまとまらない中、深夜に思うことを思うままに書きなぐった。
そして書いてはみたけど、どうしてどうしての気持ちはまだ心から消えそうにない。
やるせない。