近況
数日帰阪していた。
目的は両親の法事である。
まだ細かなタスクは多少あるが、今回で子として親にするべきことはすべて済ませたと思う。
節目の年なので親の友人にも声をかけてひさしぶりに会った。
私もよく知る幼馴染の親だ。
親の思い出話を楽しみに会いに行った。
その人には、親代わりと思って頼ってねと言われたことがあったが、その晩、親代わりになっていたのは私の方だった。
こうして私の親は子ども同士を比べられたり否定されたりして、嫌な思いを山ほどしてきたのだろうか。
私には守ってくれる親はもういないので、その日は全ての場面で私が「悪」であった。
そもそももう付き合わないほうがお互いのためだなと悟り、今後連絡は取らないことにした。
病について、なぜ自分に相談してくれなかったのかと幼馴染の親は嘆いていたが、私には親の気持ちがなんとなくわかった。
親が他界し実家を払って1年以上経っていたコロナ禍中、親への想いがものすごい勢いで湧き上がってきた。
両親ともにこのコロナ禍に遭遇しなくて良かったと思いつつ、しかしもういない事実を連日の高齢者の感染についての報道によって想起されてしまったと思われる。
育てにくい子どもであったろう私を、両親は程よい距離で見守ってくれた。
本当に自由にさせてもらった。
私は学校や塾で肯定されることがほとんどなかった。
成績は悪くなかっただけに周りの大人の期待は大きかったが、私にはその期待には応えられなかった。
親はおそらく私のそうした性格をなんとなく理解してくれていたのだろう、私がやりたいことは挑戦させてくれた。
私も頑固に親を説得するタイプだったので、諦めもあったのかもしれない。
コロナ禍の生活の中で、私は人の優しさに触れると親を思い出して苦しくなるようになっていた。
もちろん、嫌な人に対して負の感情が湧いてくるのは通常運行だったが、
明らかに私に良くしてくれる人に対しても負の気持ちが芽生えるようになっていた。
負の気持ちと言うよりわがままに近いかもしれない。
これは距離をとった方が良いと判断した。
一度自分の中できちんと親のいない世界を受け止め、整理する必要を感じていた。
親が他界してまもなく私の生活に大きな変動があって、約1年の間激動の日々を送っていた。あんなつらい日々はもう送りたくない。
何日も悪夢を見たし、少しでも気を緩めたら地に落ちるのは見えていた。
ふらりと身を投げる人はこんな気持ちなんだなと思ったこともあった。
そんな日々の中でちゃんと親のことを受け入れられてなかったのもあったのだろう。
夜中「いのちの電話」に何度電話したかわからない。
ぐちゃぐちゃになった生活や考え方等整えていった。
最近になってようやく落ち着いてきた。
同時に自分の面倒な性格のアウトラインが見えてきた。
なんとなくでも傾向がわかれば対処できる。
そして、今年の法事、冒頭に書いたように子の務めを終わらせたことで、大きな終止符を打てたように思う。
帰阪中には十数年ぶりに友人にも会った。
とても楽しい時間を過ごせた。
とはいえ、親がいない喪失感が消えるわけではなく、これからもその思いと時に戦わねばならないだろう。
そのときはまた、不器用な私は自分の殻に篭って気持ちを整理したがるはずだ。
その距離感をゆるしてくれる人としかうまくつきあえないと思うが、
それでもつきあってやるよという方、これからもよろしくおねがいしたい。
以下、蛇足である。
帰阪と書いたが、もう私を迎えてくれる家や親戚はない。
だが、私にとっては故郷であり、帰阪には変わりない。