伝統は守るべきものなのか
今日は朝から色々あって、気づくとスマホの検索がアイヌ差別の問題にたどり着いた。
アイヌ文化振興法、アイヌ施策推進法といったものは学校で詳しくはやっていないものの、教科書の端の方に載っていた説明文だけは一読したことがある。
ただ、アイヌ差別がどのように行われたのかとか、今も問題とされていることかとか、詳しい話を聞いたことはなかった。
今日それらを知って思ったのは、伝統とは守るべきものではなくて、守りたいと思うものなんだろうと、そう気付かされたのだ。
私は昔から、伝統料理だとか、伝統行事だとか、そういうものをただ「伝統は守るべきものだがら」とだけ大人に伝えられて、何となくその真似事なんかをしていた。
でも伝統って、私の前の世代の人達が慣れ親しんでいるものだったり、大切にしているものなんだと思う。理由はなんであれ、何となく周りの人間が大切にしているものを、人は洗脳でもされたかのように大切にして、懐かしみを感じるんだと思う。
その伝統の由来とか思想を聞いて、また次の世代の人にも、その感動を与えたくなるんだろうな。だから、伝統は守るべきと決まっているんでなくて、守りたいと 受け継いでいきたいと 使命感とともにふと思うものなんだろう。
だから中には受け継がれずに無くなってしまった伝統も存在する。それは例えば、その伝統を守ろうとする人自体が減ってしまったり、やむを得ず無くさなければいけなったもの。
そう思うと。自分や家族の命と引き換えに、かけがえのない文化・伝統を失ったアイヌの人達がどれだけ辛い思いをしたかなんて、私にはとうてい分からないことだと、そう思った。
同化政策。
この言葉のなんとおぞましいことだろうか。
それはまるで、自分と自分の先祖 そのものの存在を否定するような、そんな言葉なんだと知った。
独占欲と独占欲の衝突で、命よりも尊い守るべきものとされるものの奪い合いが、今も絶えず行われている。
それが例えばアフリカで内戦を生んだり。
その問題がいかに難しいものか、知れば知るほど複雑になった気がするよ。