生きる理由ではなく、死なない理由でも考えてみる
今日は英語の授業で、何人かの先生のことについて質問をして、その答えをクイズ形式で当てる、そんなことをした。
正直私からすればそれは本当に退屈だった。運動部に属する人や遅刻欠席などでいい意味でも目をつけられているほかの生徒と違って。
特別な 先生との関わりなんてものはない。
加えて私は人には興味も無い。
その質問の中にひとつ、先生の子供の時の夢は?、というものがあった。
家に帰って少しだけ物思いをしていた時、このことがふと頭に浮かんだ。
子供の時の夢は何かという質問は何も珍しくないものだが、その子供の時とはいつまでのことだろうか。
ふとそんな疑問が浮かんだ。
今私が抱いているこの遠い夢は、その質問の答えに入るのだろうか。
もし入るなら、この夢が叶うまでは死ねないなと、そんなはっきりとした願望が生まれたんだ。
そこで、たまに生きる意味なんかを考える人がいるけれど、生きる理由ではなくて 死なない理由ではダメなんだろうかと、ふと気づいたのだ。
生きようとするんじゃなくて、せめてもと死なないようにする。
今の私のように、あなたの生きる意思が少しでも軽くなりますようにと。
そう願って見ようと思う。