どれだけ孤立を望んでも、きっと誰かが見てるもの。
最近はYouTubeなど、動画を通した一方的な出会いが多く見られる。
そんな中私の中で起こるある現象が面白くて。
それは初めの第一印象がそこまでいい訳では無いけれど、その人の動画を毎日のようにみていたら、自然とその人の顔や声、それから内面的な部分まで、その多くに好感を抱き始めてくる。
それも異常に。
まあ、こんなの動画上でなくても現実で起こる事なんだけど。全くその人と話したことも、目さえ合ったことさえない、そんな直接的関係の一切ない人なのにここまで好感を抱いてしまうこの感覚が私には少し不思議なようで面白い。
それが現実で起こるというのは、例えば朝電車に乗る時、いつものように見かける小綺麗な女性とか?(私電車通学じゃないけど)
いつも行くスーパーのレジに立つ、声にハリのある威勢の良さげなおばさんとか。
学校で毎日のように会って話したりするクラスメイトだからわかるあの子のいい所も。また毎日目にはするけれど、実際にそこに関係がないからこそ見えるあの人のいい所も。
なんだか同じようで、でも違う気もする。
そう思うと、やはり人間が完全に孤立するなんてことは、普通じゃないんだよ。
それは孤立した者を否定したいんじゃなくて、ただ関係の無い相手でも、きっと誰かがあなたを見ているということを私は伝えたい。
私は学校で、休み時間とかお昼休みとか、通学の時とかはいつも一人でいる身なんだ。
ほとんど学校で喋らずに過ごしたこともある。
それでも私はクラスには喋れる子、優しい子もいるから、特にこの年は孤立を感じることは少なかった。
でも、それでも、心のどこかでは孤立を、また心のどこかでは誰かとの関係を求めてる、そんな面倒くさい私なんだけどね。
それでもこんな風に、誰かがきっと一人でも、あなたを、私を見てくれてるんだって私は信じていたくて。
それは孤立を求める私に、この綺麗事のような現実を叩きつけるみたいにして。
1人は楽だけど、この体は寂しいって必ずいつか訴えてくるから。その時になったらまた思い出してよ。必ず、必ず!誰かがあなたのことを見てるって。それは名前も、いや顔さえ知らない誰かかもしれないってことを。
どれだけあなたが、孤立を求めようとも。