短編小説『羽を生み出す』
魂はよく、蝶にたとえられる。
ギリシア語で魂、心、蝶を表すプシュケーという名前の女性は神話で、そそのかされて禁をおかし、しかし愛のため女神からの試練を超えて、天界に迎え入れられた。
そそのかされて禁を犯すことが、絶対的で、根源的な悪ではないという世界観が好きだ。
甘言なんて無垢な存在ほど、簡単にひっかかる。
そんなの大した罪じゃないだろうに。
たったひとつの過ちのために、想像を超えた試練を超えなければならなくなる。なんて、日常でもままにある、一場面なんじゃないか。
そう考えれば、美貌のプシュケーは、そう遠くはない存在なのかもしれない。
現実の青虫は、蝶になるために、さなぎになる。
毎年、無数の蝶がやってきては卵を産み落とし、新しい蝶が次つぎと旅立っていくという部屋に住むおばさんがいうには、青虫はものすごく念入りに、さなぎになるための場所を選ぶらしい。
青虫は、美しくはない。
青虫には、美しい羽もない。
あの、分厚く堅いさなぎの中で、一日、一日、形成していくのだ。
ない、ものを作り出す。
それまでに蓄えてきた、自分だけの力で。
大変だろうし、苦しいだろうし、不安だろうし、心配だろうし、もし人間だったら、意識なんか途中で失ってしまうくらいだろう。
なんだか辛くて、堅い殻に閉じこもりたくなるとき、人は、あたらしく蝶になるための準備をはじめているんじゃないか。
そうして、さなぎに守られている間、ほんとは何をすべきか、魂は、心は、理解しているんじゃないか。
この堅い殻をやぶるためには、それまでの姿のままではいられない。
大きく、美しく、自由に飛ぶための羽を、自分で、自分自身の力だけで、形作らなければならない。
実際に羽をはやすのは、無理だ。
でも、心になら、魂になら、どうだろうか。
どうすれば、蝶になれる?
それは、自分自身にしか――自分自身でしか、わからないもの。
数ある過ちが、大きな苦しみが、ひどく傷つけられた経験が、魂に美しい羽を生み出す素になる。
それらは、さなぎになる前に蓄えられてきた、大切な糧なのだ。
美しさとは、自身を越えていく力だ。
越えるべき困難の質量と、美しさは比例する。
さなぎの堅い殻を必要とした理由のすべてが、心と魂で練り上げられていくとき、変容が訪れる。
堅いさなぎの殻を破って外に出てきたあと、二度と青虫には、戻らない。
思い返すことはできても、戻らない。
大きく美しい羽は、風を受けて広がり、日を受けて輝く。
舞いあがった瞬間、それまでと全く、世界が違って感じられる。
変わったのは世界じゃなくて、自身なのに。
なんて、そんな夢を見ながら、私だけの、私の羽を、丁寧に想像して形にしてきいたい。心でなら、きっと、いつか私も、蝶のように、たのしく舞うことが、できるはずだから。