ボランティアは自己満か?偽善か?
私は今、ボランティアについて学ぶ講座を受講しています。
コースはいろいろあって、
観光とか子育て、文化、歴史、福祉、国際交流など。
私は国際交流のコースを受けています。
目的は異文化を理解するため、世界の中の日本について学んだり。
終了後には
国際交流のイベントのサポートや
ホストファミリーなどができます。
このコースは平日木曜の19時~20時半に開催しています。
参加している方々の大半はご年配の方ばかり。
そりゃ、こんな平日のこの時間に参加できるのって
働き盛りの若い人たちには難しいのかも。
ご年配の方でも、こうやって学習に励み、
積極的に社会に参加しようとしているのは
素敵だな~と思います。
ただ、私が何となく感じるのは、
生涯学習としてやるのはいいですが、
「ボランティアに参加している自分!!」
といった自分に酔っていたり、
「自分は偉い」とか
過去に海外経験があるから自慢しにきたり、
「こんな講座に参加する自分が素晴らしい」
みたいな雰囲気もちらほら感じたり。
そんな自分の動機も、毎日がつまらないから
参加してみようかな、
国際交流だから、外国人との交流あって刺激あるかなとか、
そんな自分のメリットしか考えていない動機ですけどね。
よくボランティアは自己満だ!
と批判されることもあると思うのですが、
自己満であっても、
何もせずにいる人よりは何かしようと行動する人の方が、
いいし、
ちゃんと自分を見たそうとする行動を起こしているし、
自分が満たされれば周りにもいい波動が伝わりかもしれない
貢献をしています。
批判する人は他人をとやかく言うだけで、
何もプラスになることしていないですよね。
キラキラしているのがうらやましいのだろうか?
ボランティアやるくらいなら
バイトのした方がいいって思う人もいるかもしれないですが、
ボランティアで経験することは
バイトでは経験できない感情だったり、
そこで出会う人たちから学ぶことがあるかもしれません。
交通費にお金かかったりするけど、
ボランティアを通しての経験が自分の気づきになって
自己投資という考え方もできます。
ボランティアする人って自分が満たされてないと
やろうと思う気持ちは起こりにくいと思います。
自分で手がいっぱいだと
他者に手を差し伸べている場合じゃないって
思うのが一般的かも。
私の場合も、時間があるから
ボランティアに参加できるけど、
日々の生活に追われてたらできないなって思う。
逆に他者に手を差し伸べることで
満たされることもある。
ボランティアに参加は自分が役立ってと感じる
貢献感を味わうことができる。たとえ偽善でも。
嫌われる勇気にも書いてあったけど、
人間の究極の欲求は貢献感だって。
人の役に立っている感じが
自分の存在価値を高めてくれる。
ボランティアする人しない人は
その人の性質によるもの。
労働を対価としてもらうか
人の役に立って喜んでもらえれば、自分も元気になって嬉しくなるならそれはお金と同じくらい価値があること思えるか。
働いてお金をもらうか、経験(思い出)をもらうかの違い。
どっちがあなたにとって嬉しいことか?
どちらが良い悪いではない。
それぞれの価値観だかどちらも正解。
ボランティアは「やってあげてる」ではなく、
「やりたいからやっている。」
ボランティアを趣味と思えば、
お金がもらえるからやる、やらないの考えには至らない。
交通費かかっても、趣味代と思えば。
それをすることで、人に喜んでもらるという
嬉しい感情が手に入ります。
ボランティアをやることで、
スキルが上がったり、
知名度上がったり、
自己満足が上がったり、
自分のメリットのために動いてますよね。
私も自己満足だ、偽善だって批判的な目をもっていましたが、
結局、人はなんでも自分の満足の為にやっているよな~
批判する人は「自分は偉いだろうオーラ」が嫌なのかもしれません。
偽善者なのにみんなから注目されることが悔しい、
行動していない自分を正当化するためなのかもしれません。
批判する人はボランティアをする人を脅威と思っていて、
自分の地位が脅かされると思っているから
批判して蹴落とそうしているのかも。
人の原動力なんてお金や言葉、情熱や自己満足でしかないですよ。
以上、
私がボランティアについて、
思ったことでした。
かなりまとまりのない分ですが、
何か心に残る言葉があったら嬉しいです!
ここまで読んでくださり、
ありがとうございましたヾ(*´∀`*)ノ
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