急行だった頃のキハ58

キハ58といえば言わずと知れた急行型気動車で、かつては全国各地を走っていた。しかし電化区間が増えてローカル線に追いやられ、普通列車として走るにつれて、線形が悪く勾配のきつい路線を走るようになり、急行型としての本来の性能を発揮できなかったため、非力で鈍足な車両という印象だった。キハ58は本来非電化区間にも乗り入れることのできる急行型車両で、当時としては高速寄りのセッティングだったので急勾配には弱い。キハ58は2エンジンといっても実際には1エンジンのキハ28とペアを組んでいた。キハ28の駆動用エンジンが1個なのはもう一方が冷房用のエンジンだったためである。そのため、キハ58はキハ28とペアを組まないと冷房を使えない。当時は180psのエンジンだったので、1両平均270psのエンジンで、冷房や冷房用のエンジンも積んだ重たい急行型車両の車体を動かしていた。同じ2エンジンであっても非冷房で車体も軽いキハ52の方がはるかに軽かったし、キハ52は単行運転できるので、山岳路線では最後までキハ52が残っていた。そのため勾配のきつい小海線ではキハ58のみでペアを組んでいたが、この場合、屋根上に冷房があっても冷房用の電源がないので冷房を使えない。

しかし平坦線では急行型らしく快調に走ることができた。キハ58の最高速度は95km/hだったが、そもそもローカル線の最高速度は85km/hということもあり、亜幹線での95km/hはかなりスピード感があった。特に急行列車として走っていたときは停車駅が少なかったので急行らしい走りだった。やはりこれがキハ58の本来の使い方だったのだろう。全盛期の急行はもっと長い編成だったのだろうが、最後まで急行が残っていた芸備線や山陰線では急行でも2両だった。

キハ58とキハ28とのペアではあまりに勾配に弱いということで、後にキハ28の代わりにキハ65がキハ58とペアを組むようになった。キハ65は500psのエンジンを積んで冷房用の電源も供給できるようになったので、パワーが向上した。しかし、キハ65はキハ58よりも新しかったが、その分急行運用についていた期間が短く、キハ65はキハ58とペアを組む前提だったので片運転台トイレ無しで、単行運転できなかったなど、普通列車としては必ずしも扱いやすい車両とはいえなかった。

同じく急行型だった165系電車は、パワーに余裕があり、しかも電化区間しか走らなかったので軌道や線形もそこまで悪くなく、急行列車が無くなって3両で普通列車として走るようになってからも足が速かった。もともと急行型なので遮音が良くて、長距離を移動する分には快適だった。しかし2扉デッキ付きでは普通列車としてラッシュ時に対応するのが難しかった。足回りはまだ使えたので、関東では機器類を流用して3扉ロングシート2連の107系に改造された。北陸の急行型電車はキハ47と同様の2扉セミクロスシートの413系に改造されてつい最近まで使われていた。

ローカル線では鈍足なのに平坦線では足の速い車両といえば、今ならキハ120だろう。ローカル線では15km/h制限なんてあってまともに走れないが、本来は足の速い車両なので、線形さえ良ければ快調に飛ばしていく。往年のキハ58のような走りである。今走っている電車で往年の電車急行に近い俊足ぶりを発揮しているのは、意外にも見た目によらず701系である。客車時代に比べてかなり速くなった。

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