もし40系気動車に2エンジン車があったら

40系気動車は当時老朽化していた10系気動車の置き換え用に新製された。10系気動車のうちキハ51のみ2エンジンだったがこれは20両しかなく、当時は2エンジンのキハ52や、片運転台ながら2エンジンの急行型のキハ58、勾配路線でキハ58とペアを組んで冷房を使えるようにするための500psのキハ65が健在だったからか、40系気動車では2エンジン車は製造されなかった。

しかし、40系気動車はエンジン出力が220psしかなく、車体重量の増加を考慮すれば20系気動車と同じくらいのパワーでしかなかった。最初から330psくらいのエンジンを積んでいればもっとまともに走ったのだろうが、当時の国鉄のエンジンは500psながらトラブルの多いエンジンと、12系や14系の発電用として実績のあったこのエンジンくらいしかなかった。ターボチャージャーをつけて300psにしたキハ90も試作されたが結局採用されなかった。

その後積雪時の排雪性能の求められる北海道や急勾配路線の多い四国では単行運転できる2エンジン車が求められたことから、国鉄末期に2エンジンのキハ54が導入されたが、JR東日本やJR西日本には単行運転できる2エンジン車がキハ52しかなく、他の20系気動車が引退してからも、キハ52だけは車両の寿命が来るまで長く使われた(JRになってからはキハ110やキハ120があったが、不採算路線に新製車両を入れたくなかったのだろうか)。

ではもし40系気動車に2エンジン車があったらどうなっていただろう。40系気動車は21.3m車なので2エンジン車も可能である。220psエンジンを2基積めば440psになり、これなら機関換装後の330psエンジン車よりも強力である。1エンジン車とペアを組めば2両で660psと、機関換装後の車両と同等の出力である。パワーに余裕があれば原型エンジンのまま冷房を後から搭載することもできたかもしれない。両運転台の2エンジン車があれば、キハ54は不要だったかもしれないし、キハ52も早期に置き換えられていたことだろう。

また、パワーを要する路線には2エンジン車を投入すればよいということなら、JRになってからの機関換装はあまり進まなかったかもしれない。JRになってから40系気動車の機関換装が進んだが、キハ54のいた北海道と四国では原型エンジンのままだった(ただし北海道では一部エンジン換装車あり)。まだ使えるエンジンを早期に捨てることはない。

同様に、JRになってから高出力エンジンを搭載した新型車両が次々に投入されたが、車体の頑丈な40系気動車が健在かつ出力にも余裕があれば、キハ110系のような20m車体の高出力車を開発する動機は乏しかっただろう。もしあるとすれば、閑散路線向けの16m車(キハ100やキハ120)や18m車(キハ11)のような20m車体では大きすぎる路線向けの車両くらいだったのではないか。

しかしそれはそれで技術の停滞を招いたような気がする。特にディーゼルエンジンはコモンレールインジェクタによる直噴式とターボチャージャーとの組み合わせにより低排気量高出力化を実現したが、旧態依然としたエンジンを使い続けていたらそのような新しいエンジンを採用する動機がなかったことだろう。40系気動車の動力性能が満足のいかないものだったからこそ、国鉄時代には採用できなかった高性能のエンジンを搭載した車両をJR各社が導入したわけで、40系気動車も良し悪しである。

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