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【日記】祖母を介護していた時のこと

30歳位の時、母方の祖母を引き取って実家で介護していたのだけど、現在思うとそれ自体が結構打算的な部分があったような気がしている。

それをしていないと、自分には存在価値がなくなるような、社会から排除されたり、偏見を持たれるという不安があり、そこから身を守ろうしていたのが、祖母を介護するといい出した私の本当の理由だったと思う。

仕事が長続きしない私は、せめて祖母を介護していないと、またフリーター扱いされて偏見で見られると思っていた。働けない人間は価値がないから、そうしなければ居場所がなくなると思いこんでいた。
自分の人生をどうしたいかを主体的に考えれていなかったし、大人の事情も無理して背負って、抱え込んで、自分のことを大事にしていなかった。

頑張って介護しても、福祉や医療の受入先がなくて、家族に負担がかかっても、我満して耐えていた。

 友人や元彼が、私を心配してあれこれ助言してお世話したがることも同じで、自分のことがそっちのけになっていたと思う。

で、それ、別に本当は私のためじゃないし、ただ私をコントロールしたいだけだし、私も相手に干渉している時は、同じになっていると思う。
そうやって他人をコントロールすることで、自分の無価値感を埋めたり、優越感に浸ったり、自分に優位にことを進めたいから。

友人たちは、生活保護受給してたり、子育て中なら、そっちをしっかりやって、自分のことができたら、他人を出来る範囲でたすけるくらいが丁度よいのだと思う。

お互いに相手の人生や課題を丸抱えして、助言するのは、共依存だし、お互いを無力な人間扱いしてきる感じで嫌だった。

私は自分で自分の人生を選べるし、決められるし、そのための勉強もしてきたから。

それよりは、自分と同じように性暴力を受けたり、セクハラされたり、虐待される人を1人でも減らして欲しかったし、父親のように自殺する人を少なくするために、自分ができることを考えて欲しかった。

気の毒とか、可哀想じゃなくて、誰にでも起こることだから、防いで欲しかったし、誰がそうした思いをしても、当たり前に人間関係や安全な生活を取り戻せる福祉をつくることが大事だと思った。

私はもう親の面倒をみる気も、上の世代の原発事故の影響や責任も背負う気はないし、自民党などの利権に走る政治家に税金を払いたくない。

 子どもや障がいを持つ人の差別が解消される努力はしても、上の世代や、利権に走る政治家の問題を抱えて肩代わりするつもりはないし、彼らの言いなりになって、支配されたくないと思う。

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