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【日記】友人への気持ち。福祉や医療があれば、理性的になれるということ。
私はどんなに理性的に対応しようと、精一杯治療の努力しても、以前友人が歌った「髪を切ったからってあの娘になれるわけじゃなし」という歌のように、落第点なのだと思う。
被害者意識だと分かっているけど「きっと、友人は現実が、自分の作った歌の通りになって、さぞよろこんでいるだろう。私みたいな自分より劣って、性暴力位で理性的に対応できない女より、理性的な人がが元ら彼のそばにいて、そっちの方がいい子だからと、よろこんでいる。」という妄想に囚われることがある。
そして、彼にも偏見を持っているかもしれない。
どんなに、努力しても、本当は彼が大事で大切で死なせたくなくても、性暴力を受けてない女性には、仕事でも恋愛でも友人関係でも及ぼないのだと思う。メンタルが不安定だから。理性的になることが難しいから。
でも、私もきちんと医療や法的措置で、たらい回しにならず、虐待が起きた時にすぐに適切な医療や福祉に繋がって、ケアを受けれていたら…そのハードルはもっと低かったはずだ。
そこは国にしっかり責任をとって欲しいし、もう他の女性や子どもが性暴力を振るわれたり、虐待を受けたりしない国にして欲しい。
被害を受けた人の怒りは悲しみだと知って欲しい。
怒っていても、普通にふるまえなくても、狂暴で異常な手に負えない化け物じゃない。無知で無力で人より才能や力のない人間じゃない。
ちゃんと適切な福祉や医療があれば、経済的にも自活して生活して、理性的に人間関係も築けるし、仕事も恋愛も普通に出来る。周りの人たちも、偏見でみたり、自力で支えようと頑張り過ぎて、燃え尽きこともない。
「理性的に対処すれば」という助言よりも、そこを知って欲しかったと思った。どうしたら、誰も性暴力も虐待も受けないで生きられるのか、他人事にせずに、自分のこととして考えて欲しかった。