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【日記】共生社会フォーラムin山梨


14、15日と共生社会フォーラムに参加してきました。この日のために、快くお休みをくれた上司に感謝。

基調講演で「抱樸」奥田知志さんによる相模原やまゆり事件についての話を聞いて、福祉新任者研修の分科会でディスカッションをしました。

奥田さんの講演では、やまゆり事件を起こした植松死刑囚と接見した際の話を聞きました。言葉遣いは丁寧で礼儀正しい人だけど、話す内容は全く違ったみたい。

彼は社会に貢献する為に「生産性のない障がい者を殺した。」と、面談当時も自分のした行為を正しいと信じて疑っていなかった様子。

「障がい者は、不幸しか生まない。」

一方、奥田さんとつながりのある障がい者のご家族は、植松死刑囚の意見に対し「障がいは、大変だけど、不幸ではない。ただ大変。その大変さを知って欲しい。」と言ったそう。

私が周りの人に知って欲しかったのも、これだったな、と思った。

新人研修は、新卒の人も中途採用の人もいて、深い話が出来た。奥田さんの講演に関する感想と、やまゆり事件、福祉職のあり方について2日間に渡り、ディスカッションしました。

ゲストは、ETVバリバラに出演中の玉木さん。どこかで見たことのあるひとだな、と思ったけど、すぐに気付きませんでした(-_-;)。

玉木さんは「共生社会」という言葉に違和感があるとのことで「協働社会」という言葉を教えてくれました。

協働社会なら、健常者が障がい者を「受け入れてあげる」という上から目線じゃなくて、しっかり障がいのある人もない人も役割を持って働いている社会という感じがするかも。

やまゆり事件については、新卒1年目の人はよく知らないので、改めて事件について調べてきたとのことでした。最近の報道は、施設で追悼式くらいで、事件がなぜ起きたか振り返る機会がなければ、同じことを繰り返すということ。ただの異常な人間が起こした事件で終わらせない。そのためディスカッションをした。

私は、事件が起きた当時はまだ福祉職ではなかったけど、とてもショックで、雑誌に事件や植松死刑囚への複雑な思いを投稿した。

「死刑は、植松死刑囚をいらない生命として切り捨てることで、私も彼と同じになることだと思う。だけど同時に、被害者の遺族の心境を思うと、簡単に答えは出せないと。そして死刑を迎えるその日まで、植松死刑囚が生命の重みを感じられる日が来ることを願っている。」と。

今回改めて、奥田さんから植松死刑囚の言葉を聞いて、私は怖くなったし、悲しくなった。

彼が「生きている価値のない障がい者」「不幸しか生まない」と考える条件に当てはまる子どもは、私の職場にもいる。

もちろん、障がいを持つ子どもの支援は、大変なこともある。だけど、言葉が喋れなくても、見せる色々な表情とか、日々身体機能が落ちていく中でも、一緒に過ごす時間の貴重さとか。そうしたものは、本当に生産性がないのだろうか。そして差別的で暴力的なのは、本当に植松死刑囚だけだろうか。

植松死刑囚は、社会や国に貢献するために、障がい者を殺したと主張している。

そして私たちも多かれ少かれ、社会に貢献しないと、他人に評価されずに社会的地位を失うと、自分の居場所や存在価値がなくなるような不安を持っていると思った。

結果を出せないと、自分や他人を努力が足りないと自己責任論で責める。たまたま結果を出せたら、優越感に浸り、自分は他人より努力している、厳しい世界で生き残った力のある人間だと思い込み、傲慢になる。

実際は、他人を差別して、その人権を犠牲にしたり、排除して生き残っているにも関わらずだ。

生命を天秤にかけて、線引をしているのは、特定の異常者や精神障がい者ではなくて、私たち自身であること。

それを念頭に置いた幸福を産む福祉ってなんだろう?障がい者を不幸しか生まないと決める権利なんか、私たちにあるのか?

私は「福祉って、不利な立場の人に恩恵的な施しとして行うものじゃなくて、誰でも障がい者になる可能性があるから、自分たちが、いざそうなった時に行うものだと思う」という意見を言いましたが、他の参加者の方から「その言葉が刺さりました」とのコメントを貰いました。

それでも「現実的には福祉に予算を割くために増税するのは、覚悟がいる」という意見や「中国が脅威になっている現在、そんなことが可能なのか」という意見が出た。

国籍が何であっても、国は権力で国民は同じ人間同士だし、支配される側、搾取される側、そしてそのしわ寄せを立場の不利な人間に押し付ける価値観を内面化しているのは、変わらないのだと、改めて思った。

だけど、どうしても私たちは、国という枠で捉えがちなのだと思う。
国の体裁や覇権のために、排除されたり、犠牲になるのは、社会的に立場が不利な人であること。その犠牲は、自分がハンデを背負ったこと。私たちの生活の不便や生きずらさを招くこと。

それを自分の言葉で伝えたくて、私も国際情勢に対して代替案を提示したけど、どこまで伝わったかな?

その後も、幸福度が高く、高福祉のデンマークの障がい者福祉や、最近は北欧もウクライナ情勢の影響を受けていること、国民の意識の違いなども交えて、議論が進んだ。

司会を務めた人からは「福祉は、新しい生き方や人間の在り方を提案していくものだと思う。」という意見も出て、私もそうした福祉を実践できる人間になりたいと、改めて思いました。




















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